を「主《しゅう》」に関る大事として惧れたのである。
勿論、「家」と云う事も、彼の念頭には上《のぼ》っていた。が、変があるにしてもそれは単に、「家」を亡すが故に、大事なのではない。「主《しゅう》」をして、「家」を亡さしむるが故に――「主《しゅう》」をして、不孝の名を負わしむるが故に、大事なのである。では、その大事を未然《みぜん》に防ぐには、どうしたら、いいであろうか。この点になると、宇左衛門は林右衛門ほど明瞭な、意見を持っていないようであった。恐らく彼は、神明の加護と自分の赤誠とで、修理の逆上の鎮まるように祈るよりほかは、なかったのであろう。
その年の八月一日、徳川幕府では、所謂《いわゆる》八朔《はっさく》の儀式を行う日に、修理は病後初めての出仕《しゅっし》をした。そうして、その序《ついで》に、当時|西丸《にしまる》にいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。が、別に殿中では、何も粗※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]《そそう》をしなかったらしい。宇左衛門は、始めて、愁眉《しゅうび》を開く事が出来るような心もちがした。
しかし、彼の悦びは、その日一日だけも、続かなかった。夜
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