人にすぎない。それが、とり乱した気色もなく、つれ立って、門を出た。
延享《えんきょう》四年三月の末である。門の外では、生暖《なまあたたか》い風が、桜の花と砂埃《すなほこり》とを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。そうして、それから槍で、一同に左へ行けと相図をした。
二 田中宇左衛門
林右衛門《りんえもん》の立ち退《の》いた後は、田中宇左衛門が代って、家老を勤めた。彼は乳人《めのと》をしていた関係上、修理《しゅり》を見る眼が、自《おのずか》らほかの家来とはちがっている。彼は親のような心もちで、修理の逆上《ぎゃくじょう》をいたわった。修理もまた、彼にだけは、比較的従順に振舞ったらしい。そこで、主従の関係は、林右衛門のいた時から見ると、遥に滑《なめらか》になって来た。
宇左衛門は、修理の発作《ほっさ》が、夏が来ると共に、漸く怠《おこた》り出したのを喜んだ。彼も万一修理が殿中で無礼を働きはしないかと云う事を、惧《おそ》れない訳ではない。が、林右衛門は、それを「家」に関《かかわ》る大事として、惧れた。併し、彼は、それ
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