ながら、口先ばかりや勢よく、
「何と、ちつとは性根がついたか。だがおれの官禄は、まだまだそんな事ぢや無え。今度江戸をずらかつたのは、臍繰金《へそくりがね》が欲しいばかりに二人と無え御袋を、おれの手にかけて絞め殺した、その化の皮が剥げたからよ。」
 と大きな見得を切つた時にや、三人ともあつと息を引いての、千両役者でも出て来はしめえし、小鬢から脹れ上つたあいつの面を、難有さうに見つめやがつた。おれはあんまり莫迦《ばか》らしいから、もう見てゐるがものは無えと思つて、二三段梯子を下りかけたが、その途端に番頭の薬罐頭め、何と思やがつたか横手を打つて、
「や、読めたぞ。読めたぞ。あの鼠小僧と云ふのは、さてはおぬしの渾名《あだな》だな。」
 と頓狂な声を出しやがつたから、おれはふと又気が変つて、あいつが何とぬかしやがるか、それが聞きたさにもう一度、うすつ暗え梯子の中段へ足を止めたと思ひねえ。するとあの胡麻の蠅め、じろりと番頭を睨みながら、
「図星を指されちや仕方が無え。如何にも江戸で噂の高え、鼠小僧とはおれの事だ。」
 と横柄にせせら笑やがつた。が、さう云ふか云は無え内に、胴震ひを一つしたと思ふと、二つ三つ続けさまに色気の無え嚏《くしやみ》をしやがつたから、折角の睨みも台無しよ。それでも三人の野郎たちは、勝角力《かちずまふ》の名乗りでも聞きやしめえし、あの重吉の間抜野郎を煽ぎ立て無えばかりにして、
「おらもさうだらうと思つてゐた。三年前の大夕立に雷獣様を手捕りにした、横山宿の勘太と云つちや、泣く児も黙るおらだんべい。それをおらの前へ出て、びくともする容子《ようす》が見え無えだ。」
「違え無え。さう云やどこか眼の中に、すすどい所があるやうだ。」
「ほんによ、だからおれは始めから、何でもこの人は一つぱしの大泥坊になると云つてゐたわな。ほんによ。今夜は弘法《こうぼふ》にも筆の誤り、上手《じやうず》の手からも水が漏るす。漏つたが、これが漏ら無えで見ねえ。二階中の客は裸にされるぜ。」
 と繩こそ解かうとはし無えけれど、口々にちやほやしやがるのよ。すると又あの胡麻の蠅め、大方威張る事ぢや無え。
「かう、番頭さん、鼠小僧の御宿をしたのは、御前《おめえ》の家の旦那が運が好いのだ。さう云ふおれの口を干しちや、旅籠屋《はたごや》冥利《みやうり》が尽きるだらうぜ。桝《ます》で好いから五合ばかり、酒をつけてくんねえな。」
 かう云ふ野郎も図々しいが、それを又正直に聞いてやる番頭も間抜けぢや無えか。おれは八間の明りの下で、薬罐頭の番頭が、あの飲んだくれの胡麻の蠅に、桝の酒を飲ませてゐるのを見たら、何もこの山甚の奉公人ばかりとは限ら無え、世間の奴等の莫迦莫迦《ばかばか》しさが、可笑《をか》しくつて、可笑しくつて、こてえられ無かつた。何故と云ひねえ。同じ悪党とは云ひながら、押込みよりや掻払ひ、火つけよりや巾着切《きんちやくきり》が、まだしも罪は軽いぢや無えか。それなら世間もそのやうに、大盗つ人よりや、小盗つ人に憐みをかけてくれさうなものだ。所が人はさうぢや無え。三下野郎にやむごくつても、金箔つきの悪党にや向うから頭を下げやがる。鼠小僧と云や酒も飲ますが、唯の胡麻の蠅と云や張り倒すのだ。思やおれも盗つ人だつたら、小盗つ人にやなりたく無え。――とまあ、おれは考へたが、さて何時までも便々と、こんな茶番も見ちやゐられ無えから、わざと音をさせて梯子を下りの、上り口へ荷物を抛り出して、
「おい、番頭さん、私は早立ちと出かけるから、ちよいと勘定をしておくんなせえ。」
 と声をかけると、いや、番頭の薬罐頭め、てれまい事か、慌てて桝を馬子半天に渡しながら、何度も小鬢《こびん》へ手をやつて、
「これは又御早い御立ちで――ええ、何とぞ御腹立ちになりやせんやうに――又先程は、ええ、手前どもにもわざわざ御心づけを頂きまして――尤も好い塩梅《あんばい》に雪も晴れたやうでげすが――」
 などと訳のわからねえ事を並べやがるから、おれは可笑しさも可笑しくなつて、
「今下りしなに小耳に挾んだが、この胡麻の蠅は、評判の鼠小僧とか云ふ野郎ださうだの。」
「へい、さやうださうで、――おい、早く御草鞋《おわらぢ》を持つて来さつし。御笠に御合羽は此処にありと――どうも大した盗つ人ださうでげすな。――へい、唯今御勘定を致しやす。」
 番頭のやつはてれ隠しに、若え者を叱りながら、そこそこ帳場の格子《かうし》の中へ這入ると、仔細《しさい》らしく啣《くは》へ筆《ふで》で算盤をぱちぱちやり出しやがつた。おれはその間に草鞋をはいて、さて一服吸ひつけたが、見りやあの胡麻の蠅は、もう御神酒《おみき》がまはつたと見えて、小鬢《こびん》の禿まで赤くしながら、さすがにちつとは恥しいのか、なるべくおれの方を見無えやうに、側眼《わきめ》ばかり使つてゐやがる。その見すぼらしい容子《ようす》を見ると、おれは今更のやうにあの野郎が可哀さうにもなつて来たから、
「おい、越後屋さん。いやさ、重吉さん。つまら無え冗談《じようだん》は云は無えものだ。御前《おめえ》が鼠小僧だなどと云ふと、人の好い田舎者は本当にするぜ。それぢや割が悪からうが。」
 と親切づくに云つてやりや、あの阿呆の合天井《がふてんじやう》め、まだ芝居がし足り無えのか、
「何だと。おれが鼠小僧ぢや無え? 飛んだ御前は物知りだの。かう、旦那旦那と立ててゐりや――」
「これさ。そんな啖呵《たんか》が切りたけりや、此処にゐる馬子や若え衆が、丁度|御前《おめえ》にや好い相手だ。だがそれもさつきからぢや、もう大抵切り飽きたらう。第一御前が紛れも無え日本一の大泥坊なら、何もすき好んでべらべらと、為にもなら無え旧悪を並べ立てる筈が無えわな。これさ、まあ黙つて聞きねえと云ふ事に。そりや御前が何でも彼《か》でも、鼠小僧だと剛情を張りや、役人始め真実御前が鼠小僧だと思ふかも知れ無え。が、その時にや軽くて獄門、重くて磔《はりつけ》は逃れ無えぜ。それでも御前は鼠小僧か、――と云はれたら、どうする気だ。」
 とかう一本突つこむと、あの意気地なしめ、見る見る内に唇の色まで変へやがつて、
「へい、何とも申し訳はござりやせん。実は鼠小僧でも何でも無え、唯の胡麻の蠅でござりやす。」
「さうだらう。さうなくつちや、なら無え筈だ。だが火つけや押込みまでさんざんしたと云ふからにや、御前《おめえ》も好い悪党だ。どうせ笠の台は飛ぶだらうぜ。」
 と框《かまち》で煙管をはたきながら、大真面目におれがひやかすと、あいつは酔もさめたと見えて、又|水《みづ》つ洟《ぱな》をすすりこみの、泣かねえばかりの声を出して、
「何、あれもみんな嘘でござりやす。私《わつし》は旦那に申し上げた通り、越後屋重吉と云ふ小間物渡世で、年にきつと一二度はこの街道を上下《のぼりくだり》しやすから、善かれ悪しかれいろいろな噂を知つて居りやすので、つい口から出まかせに、何でも彼でもぼんぽんと――」
「おい、おい、御前は今胡麻の蠅だと云つたぢや無えか。胡麻の蠅が小間物を売るとは、御入国以来聞か無え事だの。」
「いえ、人様の物に手をかけたのは、今夜がまだ始めてでござりやす。この秋女房に逃げられやして、それから引き続き不手まはりな事ばかり多うござりやしたから、貧すりや鈍すると申す通り、ふとした一時の出来心から、飛んだ失礼な真似を致しやした。」
 おれはいくらとんちきでも、兎に角胡麻の蠅だとは思つてゐたから、かう云ふ話を聞かされた時にや、煙管へ煙草をつめかけた儘、呆《あき》れて物も云へなかつた。が、おれは呆れただけだつたが、馬子半天と若え者とは、腹を立てたの立て無えのぢやねえ。おれが止めようと思ふ内に、いきなりあの野郎を引きずり倒しの、
「うぬ、よくも人を莫迦にしやがつたな。」
「その頬桁《ほほげた》を張りのめしてくれべい。」
 と喚《わめ》き立てる声の下から、火吹竹が飛ぶ、桝が降るよ。可哀さうに越後屋重吉は、あんなに横つ面を脹らした上へ、頭まで瘤《こぶ》だらけになりやがつた。……

       三

「話と云ふのはこれつきりよ。」
 色の浅黒い、小肥りに肥つた男は、かう一部始終を語り終ると、今まで閑却されてゐた、膳の上の猪口《ちよく》を取り上げた。
 向うに見える唐津様の海鼠壁《なまこかべ》には、何時か入日の光がささなくなつて、掘割に臨んだ一株の葉柳にも、そろそろ暮色が濃くなつて来た。と思ふと三縁山増上寺の鐘の音が、静に潮の匂のする欄外の空気を揺《ゆす》りながら、今更のやうに暦の秋を二人の客の胸にしみ渡らせた。風に動いてゐる伊予簾《いよすだれ》、御浜御殿の森の鴉《からす》の声、それから二人の間にある盃洗《はいせん》の水の冷たい光――女中の運ぶ燭台の火が、赤く火先《ほさき》を靡《なび》かせながら、梯子段の下から現はれるのも、もう程がないのに相違あるまい。
 小弁慶の単衣《ひとへ》を着た男は、相手が猪口をとり上げたのを見ると、早速徳利の尻をおさへながら、
「いや、はや、飛んでも無えたはけがあるものだ。日本の盗人《ぬすつと》の守り本尊、私《わつち》の贔屓《ひいき》の鼠小僧を何だと思つてゐやがる。親分なら知ら無え事、私《わつち》だつたらその野郎をきつと張り倒してゐやしたぜ。」
「何もそれ程に業《ごふ》を煮やす事は無え。あんな間抜な野郎でも、鼠小僧と名乗つたばかりに、大きな面が出来たことを思や、鼠小僧もさぞ本望だらう。」
「だつとつて御前《おめえ》さん、そんな駈け出しの胡麻の蠅に鼠小僧の名をかたられちや――」
 剳青《ほりもの》のある、小柄な男は、まだ云ひ争ひたい気色《けしき》を見せたが、色の浅黒い、唐桟の半天を羽織つた男は、悠々と微笑を含みながら、
「はて、このおれが云ふのだから、本望に違え無えぢや無えか。手前《てめえ》にやまだ明さなかつたが、三年前に鼠小僧と江戸で噂が高かつたのは――」
 と云ふと、猪口を控へた儘、鋭くあたりへ眼をくばつて、
「この和泉屋の次郎吉の事だ。」
[#地から2字上げ](大正八年十二月)



底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月17日公開
2004年3月14日修正
青空文庫作成ファイル:
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