れ寒《さむ》さ凌《しの》ぎと、熱燗《あつかん》で二三杯きめ出すと、その越後屋重吉と云ふ野郎が、始末に了《を》へ無え機嫌上戸での、唯でせえ口のまめなやつが、大方|饒舌《しやべ》る事ぢや無え。
「旦那え、この酒なら御口に合ひやせう。これから甲州路へかかつて御覧なさいやし。とてもかう云ふ酒は飲めませんや。へへ、古い洒落《しやれ》だが与右衛門の女房で、私《わつし》ばかりかさねがさね――」
などと云つてゐる内は、まだ好かつたが、銚子が二三本も並ぶやうになると、目尻を下げて、鼻の脂を光らせて、しやくんだ顋《あご》を乙に振つて、
「酒に恨《うらみ》が数々ござるつてね、私なんぞも旦那の前だが、茶屋酒のちいつとまはり過ぎたのが、飛んだ身の仇《あだ》になりやした。あ、あだな潮来《いたこ》で迷はせるつ。」
とふるへ声で唄ひ始めやがる。おれは実に持て余しての、何でもこいつは寝かすより外に仕方が無えと思つたから、潮さきを見て飯にすると、
「さあ、明日が早えから、寝なせえ。寝なせえ。」
とせき立てての、まだ徳利《とつくり》に未練のあるやつを、やつと横にならせたが、御方便なものぢや無えか、あれ程はしやいでゐた
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