一日、四谷の荒木町を振り出しに、とうとう旅鴉《たびがらす》に身をやつしたが、なりは手前《てめえ》も知つてた通り、結城紬《ゆふきつむぎ》の二枚重ねに一本|独銛《どつこ》の博多の帯、道中差《だうちゆうざし》をぶつこんでの、革色の半合羽に菅笠《すげがさ》をかぶつてゐたと思ひねえ。元より振分けの行李の外にや、道づれも無え独り旅だ。脚絆《きやはん》草鞋《わらぢ》の足拵《あしごしら》へは、見てくればかり軽さうだが、当分は御膝許《おひざもと》の日の目せえ、拝まれ無え事を考へりや、実は気も滅入つての、古風ぢやあるが一足毎に、後髪を引かれるやうな心もちよ。
その日が又意地悪く、底冷えのする雪曇りでの、まして甲州街道は、何処の山だか知ら無えが、一面の雲のかかつたやつが、枯つ葉一つがさつか無え桑畑の上に屏風《びやうぶ》を立《たて》てよ、その桑の枝を掴《つか》んだ鶸《ひは》も、寒さに咽喉《のど》を痛めたのか、声も立て無えやうな凍《い》て方《かた》だ。おまけに時々身を切るやうな、小仏颪《こぼとけおろし》のからつ風がやけにざつと吹きまくつて、横なぐれに合羽を煽《あふ》りやがる。かうなつちやいくら威張つても、旅慣れ無え江戸つ子は形無しよ。おれは菅笠の縁に手をかけちや、今朝四谷から新宿と踏み出して来た江戸の方を、何度振り返つて見たか知れやし無え。
するとおれの旅慣れ無えのが、通りがかりの人目にも、気の毒たらしかつたのに違え無え。府中の宿《しゆく》をはづれると、堅気らしい若え男が、後からおれに追ひついて、口まめに話しかけやがる。見りや紺の合羽に菅笠は、こりや御定りの旅仕度だが、色の褪《さ》めた唐桟《たうざん》の風呂敷包を頸《くび》へかけの、洗ひざらした木綿縞《もめんじま》に剥げつちよろけの小倉《こくら》の帯、右の小鬢《こびん》に禿《はげ》があつて、顋《あご》の悪くしやくれたのせえ、よしんば風にや吹かれ無えでも、懐の寒むさうな御人体《ごにんてえ》だ。だがの、見かけよりや人は好いと見えて、親切さうに道中の名所古蹟なんぞを教へてくれる。こつちは元より相手欲しやだ。
「御前さんは何処まで行きなさる。」
「私《わつし》は甲府まで参りやす。旦那は又どちらへ。」
「私《わたし》は何、身延詣りさ。」
「時に旦那は江戸でござりやせう。江戸はどの辺へ御住ひなせえます。」
「茅場町《かやばちやう》の植木店《うゑきだな
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