げながら、糅然《じゅうぜん》と四方へ逃げのいた。燈台の倒れる音、けたたましく犬の吠える声、それから盤《さら》だの瓶《ほたり》だのが粉微塵《こなみじん》に砕ける音、――今まで笑い声に満ちていた洞穴《ほらあな》の中も、一しきりはまるで嵐のような、混乱の底に投げこまれてしまった。
彼は彼自身の眼を疑うように、一刹那《いっせつな》は茫然と佇《たたず》んでいた。が、たちまち大刀を捨てて、両手に頭を抑えたと思うと、息苦しそうな呻《うめ》き声を発して、弦《いと》を離れた矢よりも早く、洞穴の外へ走り出した。
空には暈《かさ》のかかった月が、無気味《ぶきみ》なくらいぼんやり蒼《あお》ざめていた。森の木々もその空に、暗枝《あんし》をさし交《かわ》せて、ひっそり谷を封じたまま、何か凶事《きょうじ》が起るのを待ち構えているようであった。が、彼は何も見ず、何も聞かずに走り続けた。熊笹は露を振いながら、あたかも彼を埋《うず》めようとするごとく、どこまで行っても浪《なみ》を立てていた。時々|夜鳥《よどり》がその中から、翼に薄い燐光《りんこう》を帯びて、風もない梢《こずえ》へ昇って行った。……
明《あ》け方《が
前へ
次へ
全106ページ中89ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング