、一天の疎《まばら》な星の光を時々曇らせているばかりであった。
が、その内に眼の下の部落からは、思いもよらない火事の煙が、風の断《た》えた中空《なかぞら》へ一すじまっ直《すぐ》に上り始めた。老人はその煙の中に立ち昇る火の粉を眺めても、やはり膝を抱きながら、気楽そうに小声の歌を唱って、一向驚くらしい気色《けしき》も見せなかった。しかし間もなく部落からは、まるで蜂《はち》の巣を壊《こわ》したような人どよめきの音が聞えて来た。のみならずその音は次第に高くざわめき立って、とうとう戦《たたかい》でも起ったかと思う、烈しい喊声《かんせい》さえ伝わり出した。これにはさすがの老人も、いささか意外な気がしたと見えて、白い眉《まゆ》をひそめながら、おもむろに腰を擡《もた》げると、両手を耳へ当てがって、時ならない部落の騒動をじっと聞き澄まそうとするらしかった。
「はてな。剣の音なぞもするようだが。」
老人はこう呟《つぶや》きながら、しばらくはそこに伸び上って、絶えず金粉を煽っている火事の煙に見入っていた。
するとほどなく部落から、逃げて来たらしい七八人の男女《なんにょ》が、喘《あえ》ぎ喘ぎ草山へ上って
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