来た。彼等のある者は髪を垂れた、十《とお》には足りない童児《どうじ》であった。ある者は肌も見えるくらい、襟や裳紐《もすそひも》を取り乱した、寝起きらしい娘であった。そうしてまたある者は弓よりも猶《なお》腰の曲った、立居さえ苦しそうな老婆であった。彼等は草山の上まで来ると、云い合せたように皆足を止めて、月夜の空を焦《こが》している部落の火事へ眼を返した。が、やがてその中の一人が、楡《にれ》の根がたに佇《たたず》んだ老人の姿を見るや否や、気づかわしそうに寄り添った。この足弱の一群からは、「思兼尊《おもいかねのみこと》、思兼尊。」と云う言葉が、ため息と一しょに溢《あふ》れて来た。と同時に胸も露《あら》わな、夜目にも美しい娘が一人、「伯父様。」と声をかけながら、こちらを振り向いた老人の方へ、小鳥のように身軽く走り寄った。
「どうしたのだ、あの騒ぎは。」
 思兼尊はまだ眉《まゆ》をひそめながら、取りすがった娘を片手に抱《だ》いて、誰にともなくこう尋ねた。
「素戔嗚尊《すさのおのみこと》がどうした事か、急に乱暴を始めたとか申す事でございますよ。」
 答えたのはあの快活な娘でなくて、彼等の中に交《まじ》っていた、眼鼻も見えないような老婆《ろうば》であった。
「何、素戔嗚尊が乱暴を始めた?」
「はい、それ故大勢の若者たちが、尊《みこと》を搦《から》めようと致しますと、平生《へいぜい》尊の味方をする若者たちが承知致しませんで、とうとうあのように何年にもない、大騒動《おおそうどう》が始まったそうでございますよ。」
 思兼尊は考え深い目つきをして、部落に上っている火事の煙と、尊の胸にすがっている娘の顔とを見比べた。娘は月に照らされたせいか、鬢《びん》の乱れた頬の色が、透《す》き徹るかと思うほど青ざめていた。
「火を弄《もてあそ》ぶものは、気をつけないと、――素戔嗚尊ばかりではない。火を弄ぶものは、気をつけないと――」
 尊は皺《しわ》だらけな顔に苦笑を浮べて、今はさらに拡がったらしい火の手を遥に眺めながら、黙って震《ふる》えている姪《めい》の髪を劬《いたわ》るように撫《な》でてやった。

        二十三

 部落の戦いは翌朝《よくちょう》まで続いた。が、寡《か》はついに衆の敵ではなかった。素戔嗚《すさのお》は味方の若者たちと共に、とうとう敵の手に生捉《いけど》られた。日頃彼に悪意を抱いていた若者たちは、鞠《まり》のように彼を縛《いまし》めた上、いろいろ乱暴な凌辱《りょうじょく》を加えた。彼は打たれたり蹴《け》られたりする度毎《たびごと》に、ごろごろ地上を転がりまわって、牛の吼《ほ》えるような怒声を挙げた。
 部落の老若《ろうにゃく》はことごとく、律《おきて》通り彼を殺して、騒動の罪を贖《つぐな》わせようとした。が、思兼尊《おもいかねのみこと》と手力雄尊《たぢからおのみこと》と、この二人の勢力家だけは、容易に賛同の意を示さなかった。手力雄尊は素戔嗚の罪を憎みながらも、彼の非凡な膂力《りょりょく》には愛惜の情を感じていた。これは同時にまた思兼尊が、むざむざ彼ほどの若者を殺したくない理由でもあった。のみならず尊《みこと》は彼ばかりでなく、すべて人間を殺すと云う事に、極端な嫌悪《けんお》を抱いていた。――
 部落の老若は彼の罪を定《さだ》めるために、三日の間議論を重ねた。が、二人の尊たちはどうしても意見を改めなかった。彼等はそこで死刑の代りに、彼を追放に処する事にした。しかしこのまま、彼の縄を解いて、彼に広い国外の自由の天地を与えるのは、到底《とうてい》彼等の忍び難い、寛大に過ぎた処置であった。彼等はまず彼の鬚《ひげ》を、一本残らずむしり取った。それから彼の手足の爪を、まるで貝でも剥《は》がすように、未練未釈《みれんみしゃく》なく抜いてしまった。その上彼の縄を解くと、ほとんど手足も利《き》かない彼へ、手ん手に石を投げつけたり、慓悍《ひょうかん》な狩犬をけしかけたりした。彼は血にまみれながら、ほとんど高這《たかば》いをしないばかりに、蹌踉《そうろう》と部落を逃れて行った。
 彼が高天原《たかまがはら》の国をめぐる山々の峰を越えたのは、ちょうどその後《ご》二日経った、空模様の怪しい午後であった。彼は山の頂きへ来た時、嶮《けわ》しい岩むらの上へ登って、住み慣れた部落の横わっている、盆地の方を眺めて見た。が、彼の眼の下には、ただうす白い霧の海が、それらしい平地をぼんやりと、透《す》かして見せるばかりであった。彼はしかし岩の上に、朝焼《あさやけ》の空を負いながら、長い間じっと坐っていた。すると谷間から吹き上げる風が、昔の通り彼の耳へ、聞き慣れた囁《ささや》きを送って来た。「素戔嗚よ。お前は何をさがしているのだ。おれと一しょに来い。おれと一しょに来い。素戔嗚よ
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