醜い山鴉の恋を容《い》れてくれた。ありとあらゆる空の鳥は、愚《おろか》な彼を哂うのではなく、反《かえ》って仕合せな彼を羨《うらや》んだり妬《そね》んだりしているのであった。――そう彼は信じていた。少くともそう信ぜずにはいられないような気がしていた。
 だから彼はその後《ご》また、あの牛飼の若者に遇《あ》った時も、ただ同じ答を聞きたいばかりに、
「あの勾玉《まがたま》は確かに渡してくれたのだろうな。」と、軽く念を押しただけであった。若者はやはり間の悪るそうな顔をしながら、
「ええ、確かに渡しました。しかし御返事の所は――」とか何とか、曖昧《あいまい》に言葉を濁していた。それでも彼は渡したと云う言葉に満足して、その上立ち入った事情なぞは尋ねようとも思わなかった。
 すると三四日経ったある夜の事、彼が山へ寝鳥《ねどり》でも捕えに行こうと思って、月明りを幸《さいわい》、部落の往来を独りぶらぶら歩いていると、誰か笛を吹きすさびながら、薄い靄《もや》の下《お》りた中を、これも悠々と来かかるものがあった。野蛮《やばん》な彼は幼い時から、歌とか音楽とか云うものにはさらに興味を感じなかった。が、藪木《やぶき》の花の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》のする春の月夜に包まれながら、だんだんこちらへやって来る笛の声に耳を傾けるのは、彼にとっても何となく、心憎い気のするものであった。
 その内に彼とその男とは、顔を合せるばかりに近くなって来た。しかし相手は鼻の先へ来ても、相不変《あいかわらず》笛を吹き止めなかった。彼は路を譲りながら、天心に近い月を負って、相手の顔を透《す》かして見た。美しい顔、燦《きら》びやかな勾玉、それから口に当てた斑竹《はんちく》の笛――相手はあの背《せい》の高い、風流な若者に違いなかった。彼は勿論この若者が、彼の野性を軽蔑する敵の一人だと云うことを承知していた。そこで始は昂然と肩を挙げて、挨拶もせずに通り過ぎようとした。が、いよいよ二人がすれ違おうとした時、何かがもう一度彼の眼を若者の体へ惹《ひ》きつけた。と、相手の胸の上には、彼の母が遺物《かたみ》に残した、あの琅※[#「王へん+干」、第3水準1−87−83]《ろうかん》の勾玉《まがたま》が、曇りない月の光に濡れて、水々しく輝いていたではないか。
「待て。」
 彼は咄嗟《とっさ》に腕を伸ばすと、若者の襟《えり》をしっかり掴《つか》んだ。
「何をする。」
 若者は思わずよろめきながら、さすがに懸命の力を絞《しぼ》って、とられた襟を振り離そうとした。が、彼の手はさながら万力《まんりき》にかけたごとく、いくらもがいても離れなかった。

        十九

「貴様はこの勾玉《まがたま》を誰に貰った?」
 素戔嗚《すさのお》は相手の喉《のど》をしめ上げながら噛《か》みつくようにこう尋ねた。
「離せ。こら、何をする。離さないか。」
「貴様が白状するまでは離さない。」
「離さないと――」
 若者は襟を取られたまま、斑竹《はんちく》の笛をふり上げて、横払いに相手を打とうとした。が、素戔嗚は手もとを緩《ゆる》めるまでもなく、遊んでいた片手を動かして、苦もなくその笛を※[#「てへん+丑」、第4水準2−12−93]《ね》じ取ってしまった。
「さあ、白状しろ。さもないと、貴様を絞殺《しめころ》すぞ。」
 実際素戔嗚の心の中には、狂暴な怒が燃え立っていた。
「この勾玉は――おれが――おれが馬と取換えたのだ。」
「嘘をつけ。これはおれが――」
「あの娘に」と云う言葉が、何故か素戔嗚の舌を硬《こわ》ばらせた。彼は相手の蒼ざめた顔に熱い息を吹きかけながら、もう一度|唸《うな》るような声を出した。
「嘘をつけ。」
「離さないか。貴様こそ、――ああ、喉が絞《し》まる。――あれほど離すと云った癖に、貴様こそ嘘をつく奴だ。」
「証拠があるか、証拠が。」
 すると若者はまだ必死に、もがきながら、
「あいつに聞いて見るが好い。」と、吐き出すような、一言《ひとこと》を洩らした。「あいつ」があの牛飼いの若者であると云う事は、怒り狂った素戔嗚にさえ、問うまでもなく明かであった。
「よし。じゃ、あいつに聞いて見よう。」
 素戔嗚は言下《ごんか》に意を決すると、いきなり相手を引っ立てながら、あの牛飼いの若者がたった一人住んでいる、そこを余り離れていない小家《こいえ》の方へ歩き出した。その途中も時々相手は、襟にかかった素戔嗚の手を一生懸命に振り離そうとした。しかし彼の手は相不変《あいかわらず》、鉄のようにしっかり相手を捉《とら》えて、打っても、叩いても離れなかった。
 空には依然として、春の月があった。往来にも藪木《やぶき》の花の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》が、やはりうす甘く立ち
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