若者の襟《えり》をしっかり掴《つか》んだ。
「何をする。」
 若者は思わずよろめきながら、さすがに懸命の力を絞《しぼ》って、とられた襟を振り離そうとした。が、彼の手はさながら万力《まんりき》にかけたごとく、いくらもがいても離れなかった。

        十九

「貴様はこの勾玉《まがたま》を誰に貰った?」
 素戔嗚《すさのお》は相手の喉《のど》をしめ上げながら噛《か》みつくようにこう尋ねた。
「離せ。こら、何をする。離さないか。」
「貴様が白状するまでは離さない。」
「離さないと――」
 若者は襟を取られたまま、斑竹《はんちく》の笛をふり上げて、横払いに相手を打とうとした。が、素戔嗚は手もとを緩《ゆる》めるまでもなく、遊んでいた片手を動かして、苦もなくその笛を※[#「てへん+丑」、第4水準2−12−93]《ね》じ取ってしまった。
「さあ、白状しろ。さもないと、貴様を絞殺《しめころ》すぞ。」
 実際素戔嗚の心の中には、狂暴な怒が燃え立っていた。
「この勾玉は――おれが――おれが馬と取換えたのだ。」
「嘘をつけ。これはおれが――」
「あの娘に」と云う言葉が、何故か素戔嗚の舌を硬《こわ》ばらせた。彼は相手の蒼ざめた顔に熱い息を吹きかけながら、もう一度|唸《うな》るような声を出した。
「嘘をつけ。」
「離さないか。貴様こそ、――ああ、喉が絞《し》まる。――あれほど離すと云った癖に、貴様こそ嘘をつく奴だ。」
「証拠があるか、証拠が。」
 すると若者はまだ必死に、もがきながら、
「あいつに聞いて見るが好い。」と、吐き出すような、一言《ひとこと》を洩らした。「あいつ」があの牛飼いの若者であると云う事は、怒り狂った素戔嗚にさえ、問うまでもなく明かであった。
「よし。じゃ、あいつに聞いて見よう。」
 素戔嗚は言下《ごんか》に意を決すると、いきなり相手を引っ立てながら、あの牛飼いの若者がたった一人住んでいる、そこを余り離れていない小家《こいえ》の方へ歩き出した。その途中も時々相手は、襟にかかった素戔嗚の手を一生懸命に振り離そうとした。しかし彼の手は相不変《あいかわらず》、鉄のようにしっかり相手を捉《とら》えて、打っても、叩いても離れなかった。
 空には依然として、春の月があった。往来にも藪木《やぶき》の花の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》が、やはりうす甘く立ち
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