の笛《ふえ》を帯へさして、ぶらりと山を下って来た。それは部落の若者たちの中でも、最も精巧な勾玉や釧《くしろ》の所有者として知られている、背《せい》の高い美貌《びぼう》の若者であった。彼はそこを通りかかると、どう思ったかふと足を止めて、楡の下の若者に「おい、君。」と声をかけた。若者は慌てて、顔を挙げた。が、彼はこの風流な若者が、彼の崇拝する素戔嗚の敵の一人だと云う事を承知していた。そこでいかにも無愛想《ぶあいそ》に、
「何か御用ですか。」と返事をした。
「ちょいとその勾玉を見せてくれないか。」
 若者は苦《にが》い顔をしながら、琅※[#「王へん+干」、第3水準1−87−83]を相手の手に渡した。
「君の玉かい。」
「いいえ、素戔嗚尊《すさのおのみこと》の玉です。」
 今度は相手の若者の方が、苦い顔をしずにはいられなかった。
「じゃいつもあの男が、自慢《じまん》そうに下げている玉だ。もっともこのほかに下げているのは、石塊《いしころ》同様の玉ばかりだが。」
 若者は毒口《どくぐち》を利きながら、しばらくその勾玉を弄《もてあそ》んでいたが、自分もその楡の根がたへ楽々と腰を下すと、
「どうだろう。物は相談と云うが、一つ君の計らいで、この玉を僕に売ってくれまいか。」と、大胆な事を云い出した。

        十六

 牛飼いの若者は否《いや》と返事をする代りに、頬《ほお》を脹《ふく》らせたまま黙っていた。すると相手は流し眼に彼の顔を覗きこんで、
「その代り君には御礼をするよ。刀が欲しければ刀を進上するし、玉が欲しければ玉も進上するし、――」
「駄目ですよ。その勾玉《まがたま》は素戔嗚尊《すさのおのみこと》が、ある人に渡してくれと云って、私に預けた品なのですから。」
「へええ、ある人へ渡してくれ? ある人と云うのは、ある女と云う事かい。」
 相手は好奇心を動かしたと見えて、急に気ごんだ調子になった。
「女でも男でも好いじゃありませんか。」
 若者は余計なおしゃべりを後悔しながら面倒臭そうにこう答を避けた。が、相手は腹を立てた気色《けしき》もなく、反《かえ》って薄気昧が悪いほど、優しい微笑を漏《も》らしながら、
「そりゃどっちでも好いさ。どっちでも好いが、その人へ渡す品だったら、そこは君の働き一つで、ほかの勾玉を持って行っても、大した差支《さしつかえ》はなさそうじゃないか。」
 
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