た。もしあの娘が尊の姪なら――彼は眼を足もとの石から挙げると、やはり顔をしかめたなり、
「そうして勾玉をどうするのだ?」と云った。
 しかし彼の眼の中には、明かに今まで見えなかった希望の色が動いていた。

        十五

 若者の答えは無造作《むぞうさ》であった。
「何、その勾玉をあの娘に渡して、あなたの思召しを伝えるのです。」
 素戔嗚《すさのお》はちょいとためらった。この男の弁舌を弄《ろう》する事は、何となく彼には不快であった。と云って彼自身、彼の心を相手に訴えるだけの勇気もなかった。若者は彼の醜い顔に躊躇《ちゅうちょ》の色が動くのを見ると、わざと冷やかに言葉を継《つ》いだ。
「御嫌《おいや》なら仕方はありませんが。」
 二人はしばらくの間黙っていた。が、やがて素戔嗚は頸《くび》に懸けた勾玉《まがたま》の中から、美しい琅※[#「王へん+干」、第3水準1−87−83]《ろうかん》の玉を抜いて、無言のまま若者の手に渡した。それは彼が何よりも、大事にかけて持っている、歿《な》くなった母の遺物《かたみ》であった。
 若者はその琅※[#「王へん+干」、第3水準1−87−83]に物欲しそうな眼を落しながら、
「これは立派な勾玉ですね、こんな性《たち》の好い琅※[#「王へん+干」、第3水準1−87−83]は、そう沢山はありますまい。」
「この国の物じゃない。海の向うにいる玉造《たまつくり》が、七日《なぬか》七晩《ななばん》磨いたと云う玉だ。」
 彼は腹立たしそうにこう云うと、くるりと若者に背《せな》を向けて、大股に噴《ふ》き井《い》から歩み去った。若者はしかし勾玉を掌《てのひら》の上に載せながら、慌《あわ》てて後を追いかけて来た。
「待っていて下さい。必ず二三日中には、吉左右《きっそう》を御聞かせしますから。」
「うん、急がなくって好いが。」
 彼等は倭衣《しずり》の肩を並べて、絶え間なく飛び交《か》う燕《つばくら》の中を山の方へ歩いて行った。後には若者の投げた椿の花が、中高《なかだか》になった噴き井の水に、まだくるくる廻りながら、流れもせず浮んでいた。
 その日の暮方《くれがた》、若者は例の草山の楡《にれ》の根がたに腰を下して、また素戔嗚に預けられた勾玉を掌へ載せて見ながら、あの娘に云い寄るべき手段をいろいろ考えていた。するとそこへもう一人の若者が、斑竹《はんちく》
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