と》だの手力雄尊《たぢからおのみこと》だのと云う年長者《ねんちょうじゃ》に敬意を払っていた。しかしそれらの尊《みこと》たちは、格別彼に敵意らしい何物も持っていないらしかった。
 殊に思兼尊などは、むしろ彼の野蛮な性質に好意を持っているようであった。現にあの草山の喧嘩から、二三日経ったある日の午後、彼が例のごとくたった一人、山の中の古沼へ魚を釣りに行っていると、偶然そこへ思兼尊が、これも独り分け入って来た。そうして隔意なく彼と一しょに、朽木《くちき》の幹へ腰を下して、思いのほか打融《うちと》けた世間話などをし始めた。
 尊《みこと》はもう髪も髯も白くなった老人ではあるが、部落第一の学者でもあり、予《か》ねてまた部落第一の詩人と云う名誉も担《にな》っていた。その上部落の女たちの中には、尊を非凡な呪物師《まじものし》のように思っているものもないではなかった。これは尊が暇さえあると、山谷《さんこく》の間をさまよい歩いて、薬草などを探して来るからであった。
 彼は勿論思兼尊に、反感を抱くべき理由がなかった。だから糸を垂《た》れたまま、喜んで尊の話相手になった。二人はそこで長い間、古沼に臨んだ柳の枝が、銀《しろがね》のような花をつけた下に、いろいろな事を話し合った。
「近頃はあなたの剛力《ごうりき》が、大分《だいぶ》評判《ひょうばん》のようじゃありませんか。」
 しばらくしてから思兼尊は、こう云って、片頬《かたほ》に笑《えみ》を浮べた。
「評判だけ大きいのです。」
「それだけでも結構ですよ。すべての事は評判があって、始めてあり甲斐《がい》があるのですから。」
 素戔嗚にはこの答が、一向|腑《ふ》に落ちなかった。
「そうでしょうか。じゃ評判がなかったら、いくら私が剛力でも――」
「さらに剛力ではなくなるのです。」
「しかし人が掬《すく》わなくっても、砂金《しゃきん》は始《はじめ》から砂金でしょう。」
「さあ、砂金だとわかるのは、人に掬われてからの上じゃありませんか。」
「すると人が、ただの砂を砂金だと思って掬ったら――」
「やはりただの砂でも砂金になるでしょう。」
 素戔嗚は何だか思兼尊に、調戯《からか》われているような心もちがした。が、そうかと思って相手を見ても、尊の皺《しわ》だらけな目尻には、ただ微笑が宿っているばかりで、人の悪そうな気色《けしき》は少しもなかった。
「何だか
前へ 次へ
全53ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング