り打たれたりし出した。あたりに草を食《は》んでいた牛や馬も、この騒ぎに驚いて、四方へ一度に逃げて行った。が、それらの飼い主たちは拳を揮《ふる》うのに夢中になって、しばらくは誰も家畜の行方《ゆくえ》に気をとめる容子《ようす》は見えなかった。
が、その内に素戔嗚と争ったものは、手を折られたり、足を挫《くじ》かれたりして、だんだん浮き足が立つようになった。そうしてとうとうしまいには、誰からともなく算を乱して、意気地《いくじ》なく草山を逃げ下《くだ》って行った。
素戔嗚は相手を追い払うと、今度は彼の崇拝者が、まだ彼等に未練があるのを押し止《とど》めなければならなかった。
「騒ぐな。騒ぐな。逃げるものは逃がしてやるのが好《い》いのだ。」
若者はやっと彼の手を離れると、べたりと草の上へ坐ってしまった。彼が手ひどく殴《なぐ》られた事は、一面に地腫《じばれ》のした彼の顔が、明白に語っている事実であった。素戔嗚は彼の顔を見ると、腹立たしい心のどん底から、急に可笑《おか》しさがこみ上げて来た。
「どうした? 怪我《けが》はしなかったか?」
「何、したってかまいはしません。今日と云う今日こそあいつらに、一泡吹かせてやったのですから。――それよりあなたこそ、御怪我はありませんか。」
「うん、瘤《こぶ》が一つ出来ただけだった。」
素戔嗚はこう云う一言に忌々《いまいま》しさを吐き出しながら、そこにあった一本の楡《にれ》の根本《ねもと》に腰を下した。彼の眼の前には部落の屋根が、草山の腹にさす夕日の光の中に、やはり赤々と浮き上っていた。その景色が素戔嗚には、不思議に感じるくらい平和に見えた。それだけまた今までの格闘《かくとう》が、夢のような気さえしないではなかった。
二人は草を敷いたまま、しばらくは黙って物静な部落の日暮を見下していた。
「どうです。瘤は痛みますか。」
「大して痛まない。」
「米《こめ》を噛《か》んでつけて置くと好《い》いそうですよ。」
「そうか。それは好い事を聞いた。」
十一
ちょうどこの喧嘩《けんか》と同じように、素戔嗚《すさのお》は次第にある一団の若者たちを嫌でも敵にしなければならなくなった。しかしそれが数の上から云うと、ほとんどこの部落の若者たちの三分の二以上の多数であった。この連中は彼の味方が、彼を首領と仰ぐように、思兼尊《おもいかねのみこ
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