のごとく彼に仕えるために、反《かえ》って彼の反感を買った事がある男に違いなかった。
 彼は彼等の姿を見ると、咄嗟《とっさ》に何事か起りそうな、忌《いま》わしい予感に襲われた。しかしここへ来かかった以上、元《もと》より彼等の口論を見て過ぎる訳にも行かなかった。そこで彼はまず見覚えのある、その一人の若者に、
「どうしたのだ。」と声をかけた。
 その男は彼の顔を見ると、まるで百万の味方にでも遭《あ》ったように、嬉しそうに眼を輝かせながら、相手の若者たちの理不尽《りふじん》な事を滔々《とうとう》と早口にしゃべり出した。何でもその言葉によると、彼等はその男を憎むあまり、彼の飼っている牛馬をも傷《きずつ》けたり虐《いじ》めたりするらしかった。彼はそう云う不平を鳴す間も、時々相手を睨《にら》みつけて、
「逃げるなよ。今に返報をしてやるから。」などと、素戔嗚の勇力を笠に着た、横柄《おうへい》な文句を並べたりした。

        十

 素戔嗚《すさのお》は彼の不平を聞き流してから、相手の若者たちの方を向いて、野蛮《やばん》な彼にも似合わない、調停の言葉を述べようとした。するとその刹那《せつな》に彼の崇拝者は、よくよく口惜《くちお》しさに堪え兼ねたのか、いきなり近くにいた若者に飛びかかると、したたかその頬《ほお》を打ちのめした。打たれた若者はよろめきながら、すぐにまた相手へ掴《つか》みかかった。
「待て。こら、待てと云ったら待たないか。」
 こう叱りながら素戔嗚は、無理に二人を引き離そうとした。ところが打たれた若者は、彼に腕を掴まれると、血迷った眼を嗔《いか》らせながら、今度は彼へ獅噛《しが》みついて来た。と同時に彼の崇拝者は、腰にさした鞭《むち》をふりかざして、まるで気でも違ったように、やはり口論の相手だった若者たちの中へ飛びこんだ。若者たちも勿論この男に、おめおめ打たれるようなものばかりではなかった。彼等は咄嗟《とっさ》に二組に分れて、一方はこの男を囲むが早いか、一方は不慮の出来事に度《ど》を失った素戔嗚へ、紛々と拳《こぶし》を加えに来た。ここに立ち至ってはもう素戔嗚にも、喧嘩に加わるよりほかに途《みち》はなかった。のみならずついに相手の拳が、彼の頭《こうべ》に下《くだ》った時、彼は理非も忘れるほど真底《しんそこ》から一時に腹が立った。
 たちまち彼等は入り乱れて、互に打った
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