も半面を埋《うず》めた鬚《ひげ》を除いて、見る見る色を失い出した。そうしてその青ざめた額から、足もとの眩《まばゆ》い砂の上へ頻《しきり》に汗の玉が落ち始めた。――と思う間もなく今度は肩の岩が、ちょうどさっきとは反対に一寸ずつ、一分《いちぶ》ずつ、じりじり彼を圧して行った。彼はそれでも死力を尽して、両手に岩を支えながら、最後まで悪闘を続けようとしたが、岩は依然として運命のごとく下って来た。彼の体は曲り出した。彼の頭も垂れるようになった。今の彼はどこから見ても、石塊《いしくれ》の下にもがいている蟹《かに》とさらに変りはなかった。
周囲に集まった若者たちは、余りの事に気を奪われて、茫然とこの悲劇を見守っていた。また実際彼等の手では、到底千曳の大岩の下から彼を救い出す事はむずかしかった。いや、あの容貌の醜い若者でさえ、今となっては相手の背《せな》からさっき擡《もた》げた大盤石《だいばんじゃく》を取りのける事が出来るかどうか、疑わしいのは勿論であった。だから彼もしばらくの間は、恐怖と驚愕《きょうがく》とを代る代る醜い顔に表しながら、ただ、漫然と自失した眼《まなこ》を相手に注ぐよりほかはなかった。
その内に猪首の若者は、とうとう大岩に背《せな》を圧《お》されて、崩折《くずお》れるように砂へ膝をついた。その拍子《ひょうし》に彼の口からは、叫ぶとも呻《うめ》くとも形容出来ない、苦しそうな声が一声《ひとこえ》溢《あふ》れて来た。あの容貌の醜い若者は、その声が耳にはいるが早いか、急に悪夢から覚めたごとく、猛然と身を飜《ひるがえ》して、相手の上に蔽《おお》いかぶさった大岩を向うへ押しのけようとした。が、彼がまだ手さえかけない内に、猪首の若者は多愛《たわい》もなく砂の上にのめりながら、岩にひしがれる骨の音と共に、眼からも口からも夥《おびただ》しく鮮《あざやか》な血を迸《ほとばし》らせた。それがこの憐むべき強力《ごうりき》の若者の最期《さいご》であった。
あの容貌の醜い若者は、ぼんやり手を束《つか》ねたまま、陽炎《かげろう》の中に倒れている相手の屍骸《しがい》を見下した。それから苦しそうな視線を挙げて、無言の答を求めるように、おずおず周囲に立っている若者たちを見廻した。が、大勢の若者たちは麗《うら》らかな日の光を浴びて、いずれも黙念《もくねん》と眼を伏せながら、一人も彼の醜い顔を仰ぎ見
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