を背負《せお》つたまま、ぶらぶら行商《ぎやうしやう》から帰つて来た。すると家の近くへ来た時、何か柔《やはら》かいものを踏みつぶした。それは月の光に透かして見ると、一匹の蟇《ひき》がへるに違ひなかつた。武さんは「俺《おれ》は悪いことをした」と思つた。それから家へ帰つて来ると、寝床の前に跪《ひざまづ》き、「神様、どうかあの蟇《ひき》がへるをお助け下さい」と十分ほど熱心に祈祷《きたう》をした。(武さんは立ち小便をする時にも草木《くさき》のない所にしたことはない。尤《もつと》もその為に一本の若木の枯れてしまつたことは確かである。)
 武さんを翌朝起したのはいつも早い牛乳配達だつた。牛乳配達は武さんの顔を見ると、紫がかつた壜《びん》をさし出しながら、晴れやかに武さんに話しかけた。
「今あすこを通つて来ると、踏みつぶされた蟇《ひき》がへるが一匹向うの草の中へはひつて行《ゆ》きましたよ。蟇がへるなどといふやつは強いものですね。」
 武さんは牛乳配達の帰つた後《あと》、早速《さつそく》感謝の祈祷をした。――これは武さんの直話《ぢきわ》である。僕は現世にもかういふ奇蹟《きせき》の行はれるといふことを語り
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