も見られないであろう。しかも彼等の頭の上には、――ラマ教の寺院の塔の上にはかすかに蒼ざめた太陽が一つ、ラッサを取り巻いた峯々の雪をぼんやりかがやかせているのである。
 僕は少くとも数年はラッサに住もうと思っている。それには怠惰の美風のほかにも、多少は妻の容色《ようしょく》に心を惹《ひ》かれているのかも知れない。妻は名はダアワといい、近隣でも美人と評されている。背は人並みよりは高いくらいであろう。顔はダアワという名前の通り、(ダアワは月の意味である。)垢《あか》の下にも色の白い、始終糸のように目を細めた、妙にもの優しい女である。夫の僕とも四人あることは前にもちょっと書いて置いた。第一の夫は行商人《ぎょうしょうにん》、第二の夫は歩兵《ほへい》の伍長《ごちょう》、第三の夫はラマ教の仏画師《ぶつがし》、第四の夫は僕である。僕もまたこの頃は無職業ではない。とにかく器用を看板とした一かどの理髪師《りはつし》になり了《おお》せている。
 謹厳なる君は僕のように、一妻多夫に甘んずるものを軽蔑《けいべつ》せずにはいられないであろう。が、僕にいわせれば、あらゆる結婚の形式はただ便宜《べんぎ》に拠《よ》った
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