り。予は憎悪を憎悪せんとす。貧困に対する、虚偽に対する、あらゆる憎悪を憎悪せんとす。……」
これは信輔の衷情だつた。彼はいつか貧困に対する憎悪そのものをも憎んでゐた。かう言ふ二重に輪を描いた憎悪は二十前の彼を苦しめつづけた。尤も多少の幸福は彼にも全然ない訣ではなかつた。彼は試験の度ごとに三番か四番の成績を占めた。又或下級の美少年は求めずとも彼に愛を示した。しかしそれ等も信輔には曇天を洩れる日の光だつた。憎悪はどう言ふ感情よりも彼の心を圧してゐた。のみならずいつか彼の心へ消し難い痕跡を残してゐた。彼は貧困を脱した後も、貧困を憎まずにはゐられなかつた。同時に又貧困と同じやうに豪奢をも憎まずにはゐられなかつた。豪奢をも、――この豪奢に対する憎悪は中流下層階級の貧困の与へる烙印だつた。或は中流下層階級の貧困だけ[#「だけ」に傍点]の与へる烙印だつた。彼は今日も彼自身の中にこの憎悪を感じてゐる。この貧困と闘はなければならぬ Petty Bourgeois の道徳的恐怖を。……
丁度大学を卒業した秋、信輔は法科に在学中の或友だちを訪問した。彼等は壁も唐紙も古びた八畳の座敷に話してゐた。其後へ顔を出したのは六十前後の老人だつた。信輔はこの老人の顔に、――アルコオル中毒の老人の顔に退職官吏を直覚した。
「僕の父。」
彼の友だちは簡単にかうその老人を紹介した。老人は寧ろ傲然と信輔の挨拶を聞き流した。それから奥へはひる前に、「どうぞ御ゆつくり。あすこに椅子もありますから」と言つた。成程二脚の肘かけ椅子は黒ずんだ椽側に並んでゐた。が、それ等は腰の高い、赤いクツシヨンの色の褪めた半世紀前の古椅子だつた。信輔はこの二脚の椅子に全中流下層階級を感じた。同時に又彼の友だちも彼のやうに父を恥ぢてゐるのを感じた。かう言ふ小事件も彼の記憶に苦しいほどはつきりと残つてゐる。思想は今後も彼の心に雑多の陰影を与へるかも知れない。しかし彼は何よりも先に退職官吏の息子だつた。下層階級の貧困よりもより虚偽に甘んじなければならぬ中流下層階級の貧困の生んだ人間だつた。
四 学校
学校も亦信輔には薄暗い記憶ばかり残してゐる。彼は大学に在学中、ノオトもとらずに出席した二三の講義を除きさへすれば、どう言ふ学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかつた。が、中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通り抜けることは僅かに貧困を脱出するたつた一つの救命袋だつた。尤も信輔は中学時代にはかう言ふ事実を認めなかつた。少くともはつきりとは認めなかつた。しかし中学を卒業する頃から、貧困の脅威は曇天のやうに信輔の心を圧しはじめた。彼は大学や高等学校にゐる時、何度も廃学を計画した。けれどもこの貧困の脅威はその度に薄暗い将来を示し、無造作に実行を不可能にした。彼は勿論学校を憎んだ。殊に拘束の多い中学を憎んだ。如何に門衛の喇叭の音は刻薄な響を伝へたであらう。如何に又グラウンドのポプラアは憂鬱な色に茂つてゐたであらう。信輔は其処に西洋歴史のデエトを、実験もせぬ化学の方程式を、欧米の一都市の住民の数を、――あらゆる無用の小智識を学んだ。それは多少の努力さへすれば、必しも苦しい仕事ではなかつた。が、無用の小智識と言ふ事実をも忘れるのは困難だつた。ドストエフスキイは「死人の家」の中にたとへば第一のバケツの水をまづ第二のバケツへ移し、更に又第二のバケツの水を第一のバケツへ移すと言ふやうに、無用の労役を強ひられた囚徒の自殺することを語つてゐる。信輔は鼠色の校舎の中に、――丈の高いポプラアの戦《そよ》ぎの中にかう言ふ囚徒の経験する精神的苦痛を経験した。のみならず――
のみならず彼の教師と言ふものを最も憎んだのも中学だつた。教師は皆個人としては悪人ではなかつたに違ひなかつた。しかし「教育上の責任」は――殊に生徒を処罰する権利はおのづから彼等を暴君にした。彼等は彼等の偏見を生徒の心へ種痘する為には如何なる手段をも選ばなかつた。現に彼等の或ものは、――達磨《だるま》と言ふ諢名のある英語の教師は「生意気である」と言ふ為に度たび信輔に体刑を課した。が、その「生意気である」所以は畢竟信輔の独歩や花袋を読んでゐることに外ならなかつた。又彼等の或ものは――それは左の眼に義眼をした国語漢文の教師だつた。この教師は彼の武芸や競技に興味のないことを喜ばなかつた。その為に何度も信輔を「お前は女か?」と嘲笑した。信輔は或時|赫《かつ》とした拍子に、「先生は男ですか?」と反問した。教師は勿論彼の不遜に厳罰を課せずには措かなかつた。その外もう紙の黄ばんだ「自ら欺かざるの記」を読み返して見れば、彼の屈辱を蒙つたことは枚挙し難い位だつた。自尊心の強い信輔は意地にも彼自身を守る為に、いつもかう言ふ屈辱を反撥しなければならなかつた。さもなければあらゆる不良少年のやうに彼自身を軽んずるのに了るだけだつた。彼はその自彊術の道具を当然「自ら欺かざるの記」に求めた。――
「予の蒙れる悪名は多けれども、分つて三と為すことを得べし。
「その一は文弱也。文弱とは肉体の力よりも精神の力を重んずるを言ふ。
「その二は軽佻浮薄也。軽佻浮薄とは功利の外に美なるものを愛するを言ふ。
「その三は傲慢也。傲慢とは妄《みだり》に他の前に自己の所信を屈せざるを言ふ。
しかし教師も悉く彼を迫害した訣ではなかつた。彼等の或ものは家族を加へた茶話会に彼を招待した。又彼等の或ものは彼に英語の小説などを貸した。彼は四学年を卒業した時、かう言ふ借りものの小説の中に「猟人日記」の英訳を見つけ、歓喜して読んだことを覚えてゐる。が、「教育上の責任」は常に彼等と人間同士の親しみを交へる妨害をした。それは彼等の好意を得ることにも何か彼等の権力に媚びる卑しさの潜んでゐる為だつた。さもなければ彼等の同性愛に媚びる醜さの潜んでゐる為だつた。彼は彼等の前へ出ると、どうしても自由に振舞はれなかつた。のみならず時には不自然に巻煙草の箱へ手を出したり、立ち見をした芝居を吹聴したりした。彼等は勿論この無作法を不遜の為と解釈した。解釈するのも亦尤もだつた。彼は元来人好きのする生徒ではないのに違ひなかつた。彼の筐底の古写真は体と不吊合に頭の大きい、徒らに目ばかり赫《かがや》かせた、病弱らしい少年を映してゐる。しかもこの顔色の悪い少年は絶えず毒を持つた質問を投げつけ、人の好い教師を悩ませることを無上の愉快としてゐるのだつた!
信輔は試験のある度に学業はいつも高点だつた。が、所謂操行点だけは一度も六点を上らなかつた。彼は6と言ふアラビア数字に教員室中の冷笑を感じた。実際又教師の操行点を楯に彼を嘲つてゐるのは事実だつた。彼の成績はこの六点の為にいつも三番を越えなかつた。彼はかう言ふ復讐を憎んだ。かう言ふ復讐をする教師を憎んだ。今も、――いや、今はいつのまにか当時の憎悪を忘れてゐる。中学は彼には悪夢だつた。けれども悪夢だつたことは必しも不幸とは限らなかつた。彼はその為に少くとも孤独に堪へる性情を生じた。さもなければ彼の半生の歩みは今日よりももつと苦しかつたであらう。彼は彼の夢みてゐたやうに何冊かの本の著者になつた。しかし彼に与へられたものは畢竟落寞とした孤独だつた。この孤独に安んじた今日、――或はこの孤独に安んずる外に仕かたのないことを知つた今日、二十年の昔をふり返つて見れば、彼を苦しめた中学の校舎は寧ろ美しい薔薇色をした薄明りの中に横はつてゐる。尤もグラウンドのポプラアだけは不相変鬱々と茂つた梢に寂しい風の音を宿しながら。………
五 本
本に対する信輔の情熱は小学時代から始まつてゐた。この情熱を彼に教へたものは父の本箱の底にあつた帝国文庫本の水滸伝だつた。頭ばかり大きい小学生は薄暗いランプの光のもとに何度も「水滸伝」を読み返した。のみならず本を開かぬ時にも替[#レ]天行[#レ]道の旗や景陽岡の大虎や菜園子張青の梁に吊つた人間の腿を想像した。想像?――しかしその想像は現実よりも一層現実的だつた。彼は又何度も木剣を提げ、干し菜をぶら下げた裏庭に「水滸伝」中の人物と、――一丈青扈三娘や花和尚魯智深と格闘した。この情熱は三十年間、絶えず彼を支配しつづけた。彼は度たび本を前に夜を徹したことを覚えてゐる。いや、几上、車上、厠上、――時には路上にも熱心に本を読んだことを覚えてゐる。木剣は勿論「水滸伝」以来二度と彼の手に取られなかつた。が、彼は本の上に何度も笑つたり泣いたりした。それは言はば転身だつた。本の中の人物に変ることだつた。彼は天竺の仏のやうに無数の過去生を通り抜けた。イヴアン・カラマゾフを、ハムレツトを、公爵アンドレエを、ドン・ジユアンを、メフイストフエレスを、ライネツケ狐を、――しかもそれ等の或ものは一時の転身には限らなかつた。現に或晩秋の午後、彼は小遣ひを貰ふ為に年とつた叔父を訪問した。叔父は長州萩の人だつた。彼はことさらに叔父の前に滔々と維新の大業を論じ、上は村田清風から下は山県有朋に至る長州の人材を讃嘆した。が、この虚偽の感激に充ちた、顔色の蒼白い高等学校の生徒は当時の大導寺信輔よりも寧ろ若いジユリアン・ソレル――「赤と黒」の主人公だつた。
かう言ふ信輔は当然又あらゆるものを本の中に学んだ。少くとも本に負ふ所の全然ないものは一つもなかつた。実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかつた。寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知らうとした。それは或は人生を知るには迂遠の策だつたのかも知れなかつた。が、街頭の行人は彼には只行人だつた。彼は彼等を知る為には、――彼等の愛を、彼等の憎悪を、彼等の虚栄心を知る為には本を読むより外はなかつた。本を、――殊に世紀末の欧羅巴の産んだ小説や戯曲を。彼はその冷たい光の中にやつと彼の前に展開する人間喜劇を発見した。いや、或は善悪を分たぬ彼自身の魂をも発見した。それは人生には限らなかつた。彼は本所の町々に自然の美しさを発見した。しかし彼の自然を見る目に多少の鋭さを加へたのはやはり何冊かの愛読書、――就中元禄の俳諧だつた。彼はそれ等を読んだ為に「都に近き山の形」を、「鬱金畠の秋の風」を、「沖の時雨の真帆片帆」を、「闇のかた行く五位の声」を、――本所の町々の教へなかつた自然の美しさをも発見した。この「本から現実」へは常に信輔には真理だつた。彼は彼の半生の間に何人かの女に恋愛を感じた。けれども彼等は誰一人女の美しさを教へなかつた。少くとも本に学んだ以外の女の美しさを教へなかつた。彼は日の光を透かした耳や頬に落ちた睫毛の影をゴオテイエやバルザツクやトルストイに学んだ。女は今も信輔にはその為に美しさを伝へてゐる。若しそれ等に学ばなかつたとすれば、彼は或は女の代りに牝ばかり発見してゐたかも知れない。…………
尤も貧しい信輔は到底彼の読むだけの本を自由に買ふことは出来なかつた。彼のかう言ふ困難をどうにかかうにか脱したのは第一に図書館のおかげだつた。第二に貸本屋のおかげだつた。第三に吝嗇の譏さへ招いだ彼の節倹のおかげだつた。彼ははつきりと覚えてゐる――大溝に面した貸本屋を、人の好い貸本屋の婆さんを、婆さんの内職にする花簪を。婆さんはやつと小学へ入つた「坊ちやん」の無邪気を信じてゐた。その「坊ちやん」はいつの間にか本を探がす風を装ひながら、偸み読みをすることを発明してゐた。彼は又はつきりと覚えてゐる。――古本屋ばかりごみごみ並んだ二十年前の神保町通りを、その古本屋の屋根の上に日の光を受けた九段坂の傾斜を。勿論当時の神保町通りは電車も馬車も通じなかつた。彼は――十二歳の小学生は弁当やノオト・ブツクを小脇にしたまま、大橋図書館へ通ふ為に何度もこの通りを往復した。道のりは往復一里半だつた。大橋図書館から帝国図書館へ。彼は帝国図書館の与へた第一の感銘をも覚えてゐる。――高い天井に対する恐怖を、大きい窓に対する恐怖を、無数の椅子を埋め尽した無数の人々に対する恐怖を。が、恐怖は幸ひにも二三度通ふうちに消滅した。彼は忽ち閲覧室に、鉄の階段に、カタロオグの箱に、地
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