君子よりもかう言ふ頭脳の持ち主を憎んだ。実際彼の友情はいつも幾分か愛の中に憎悪を孕んだ情熱だつた。信輔は今日もこの情熱以外に友情のないことを信じてゐる。少くともこの情熱以外に Herr und Knecht の臭味を帯びない友情のないことを信じてゐる。況んや当時の友だちは一面には相容れぬ死敵だつた。彼は彼の頭脳を武器に、絶えず彼等と格闘した。ホイツトマン、自由詩、創造的進化、――戦場は殆ど到る所にあつた。彼はそれ等の戦場に彼の友だちを打ち倒したり、彼の友だちに打ち倒されたりした。この精神的格闘は何よりも殺戮の歓喜の為に行はれたものに違ひなかつた。しかしおのづからその間に新しい観念や新らしい美の姿を現したことも事実だつた。如何に午前三時の蝋燭の炎は彼等の論戦を照らしてゐたか、如何に又武者小路実篤の作品は彼等の論戦を支配してゐたか、――信輔は鮮かに九月の或夜、何匹も蝋燭へ集つて来た、大きい灯取虫を覚えてゐる。灯取虫は深い闇の中から突然きらびやかに生まれて来た。が、炎に触れるが早いか、嘘のやうにぱたぱたと死んで行つた。これは何も今更のやうに珍しがる価のないことかも知れない。しかし信輔は今日も
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