の梁《はり》に吊《つ》った人間の腿《もも》を想像した。想像?――しかしその想像は現実よりも一層現実的だった。彼は又何度も木剣を提げ、干し菜をぶら下げた裏庭に「水滸伝」中の人物と、――一丈青|扈三娘《こさんじょう》や花和尚|魯智深《ろちしん》と格闘した。この情熱は三十年間、絶えず彼を支配しつづけた。彼は度たび本を前に夜を徹したことを覚えている。いや、几上《きじょう》、車上、厠上《しじょう》、――時には路上にも熱心に本を読んだことを覚えている。木剣は勿論《もちろん》「水滸伝」以来二度と彼の手に取られなかった。が、彼は本の上に何度も笑ったり泣いたりした。それは言わば転身だった。本の中の人物に変ることだった。彼は天竺《てんじく》の仏のように無数の過去生を通り抜けた。イヴァン・カラマゾフを、ハムレットを、公爵アンドレエを、ドン・ジュアンを、メフィストフェレスを、ライネッケ狐を、――しかもそれ等の或ものは一時の転身には限らなかった。現に或晩秋の午後、彼は小遣いを貰う為に年とった叔父を訪問した。叔父は長州|萩《はぎ》の人だった。彼はことさらに叔父の前に滔々《とうとう》と維新の大業を論じ、上は村田清風から下は山県有朋《やまがたありとも》に至る長州の人材を讃嘆《さんたん》した。が、この虚偽の感激に充《み》ちた、顔色の蒼白《あおじろ》い高等学校の生徒は当時の大導寺信輔よりも寧ろ若いジュリアン・ソレル――「赤と黒」の主人公だった。
 こう言う信輔は当然又あらゆるものを本の中に学んだ。少くとも本に負う所の全然ないものは一つもなかった。実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかった。寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知ろうとした。それは或は人生を知るには迂遠《うえん》の策だったのかも知れなかった。が、街頭の行人は彼には只《ただ》行人だった。彼は彼等を知る為には、――彼等の愛を、彼等の憎悪を、彼等の虚栄心を知る為には本を読むより外はなかった。本を、――殊に世紀末の欧羅巴《ヨーロッパ》の産んだ小説や戯曲を。彼はその冷たい光の中にやっと彼の前に展開する人間喜劇を発見した。いや、或は善悪を分たぬ彼自身の魂をも発見した。それは人生には限らなかった。彼は本所の町々に自然の美しさを発見した。しかし彼の自然を見る目に多少の鋭さを加えたのはやはり何冊かの愛読書、――就中《なかんずく》元禄の俳諧《はいかい》だっ
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