す」と云ふのは真面目《まじめ》に書いた文句《もんく》かも知れない。しかし哀れにも風流である。僕はこの一行《いちぎやう》の中に秋風《しうふう》の舟を家と頼んだ幇間《ほうかん》の姿を髣髴《はうふつ》した。江戸作者の写した吉原《よしはら》は永久に還《かへ》つては来ないであらう。が、兎《と》に角《かく》今日《こんにち》と雖《いへど》も、かう云ふ貼り紙に洒脱《しやだつ》の気を示した幇間《ほうかん》のゐたことは確かである。
三
大《だい》地震のやつと静まつた後《のち》、屋外《をくぐわい》に避難した人人は急に人懐しさを感じ出したらしい。向う三軒両隣を問はず、親しさうに話し合つたり、煙草や梨《なし》をすすめ合つたり、互に子供の守《も》りをしたりする景色は、渡辺町《わたなべちやう》、田端《たばた》、神明町《しんめいちやう》、――殆《ほとん》ど至る処に見受けられたものである。殊に田端《たばた》のポプラア倶楽部《クラブ》の芝生《しばふ》に難を避けてゐた人人などは、背景にポプラアの戦《そよ》いでゐるせゐか、ピクニツクに集まつたのかと思ふ位、如何《いか》にも楽しさうに打ち解《と》けてゐた。
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