の》に限つたことである。――さう僕は確信してゐた。
すると大《だい》地震のあつた翌日、大彦《だいひこ》の野口《のぐち》君に遇《あ》つた時である。僕は一本のサイダアを中に、野口君といろいろ話をした。一本のサイダアを中になどと云ふと、或は気楽さうに聞えるかも知れない。しかし東京の大火の煙は田端《たばた》の空さへ濁《にご》らせてゐる。野口君もけふは元禄袖《げんろくそで》の紗《しや》の羽織などは着用してゐない。何《なん》だか火事|頭巾《づきん》の如きものに雲龍《うんりゆう》の刺《さし》つ子《こ》と云ふ出立《いでた》ちである。僕はその時話の次手《ついで》にもう続続《ぞくぞく》罹災民《りさいみん》は東京を去つてゐると云ふ話をした。
「そりやあなた、お国者《くにもの》はみんな帰つてしまふでせう。――」
野口君は言下《ごんか》にかう云つた。
「その代りに江戸《えど》つ児《こ》だけは残りますよ。」
僕はこの言葉を聞いた時に、ちよいと或心強さを感じた。それは君の服装の為か、空を濁らせた煙の為か、或は又僕自身も大地震に悸《おび》えてゐた為か、その辺の消息《せうそく》ははつきりしない。しかし兎《と》に角
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