る自然も又人間の中なる人間に愛憐を垂《た》るることなければなり。鶴と家鴨とを食《くら》へるが故に、東京市民を獣心なりと云ふは、――惹《ひ》いては一切人間を禽獣《きんじう》と選ぶことなしと云ふは、畢竟《ひつきやう》意気地《いくぢ》なきセンテイメンタリズムのみ。
 自然は人間に冷淡なり。されど人間なるが故に、人間たる事実を軽蔑《けいべつ》すべからず。人間たる尊厳を抛棄《はうき》すべからず。人肉を食《くら》はずんば生き難しとせよ。汝《なんぢ》とともに人肉を食《くら》はん。人肉を食《くら》うて腹|鼓然《こぜん》たらば、汝の父母妻子を始め、隣人を愛するに躊躇《ちうちよ》することなかれ。その後《のち》に尚余力あらば、風景を愛し、芸術を愛し、万般の学問を愛すべし。
 誰か自《みづか》ら省れば脚に疵《きず》なきものあらんや。僕の如きは両脚《りやうきやく》の疵、殆《ほとん》ど両脚を中断せんとす。されど幸ひにこの大震を天譴《てんけん》なりと思ふ能《あた》はず。況《いは》んや天譴《てんけん》の不公平なるにも呪詛《じゆそ》の声を挙ぐる能はず。唯|姉弟《してい》の家を焼かれ、数人の知友を死せしめしが故に、已《や
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