」の三篇の論文を寄せ集めた、たとへば「井伊直弼伝」と云ふ計画中の都市の一部分である。しかし第一の「徳川家康篇」だけは幸ひにも未成品に畢《をは》つてゐない。いや僕の信ずる所によれば、寧ろ前人を曠《むなし》うした、戞々《かつかつ》たる独造底《どくざうてい》の完成品である。
一部の「徳川家康篇」は年少の家康を論じた「徳川家康」、中年の家康を論じた「鬼作左《おにさくざ》」、老年の家康を論じた「本多佐渡守《ほんださどのかみ》」の三篇の論文から成り立つてゐる。(尤《もつと》も湖州はかう云ふ順序に是等の論文を書いた訳ではない。「徳川家康」は明治三十一年、「鬼作左」は明治三十年、「本多佐渡守」は明治二十九年、――即ち作品の順序とは全然反対に筆を執つたのである。)是等の論文は必しも金玉の名文と云ふ訳ではない。同時に又格別新しい史料に立脚してゐると云ふ次第でもない。しかし是等の論文の中から我々の目の前に浮んで来る征夷大将軍徳川家康は所謂歴史上の家康よりも数等に家康らしい家康である。たとへば「徳川家康」の中に女人に対する家康を論じた下の一節を読んで見るがよい。
「家康の子、男女合はせて十六人、之れを生みし
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