も知れない。彼の文章は冷然とした中に不思議にも情熱を漲らせてゐる。天下にかう云ふ文章ほど、一人前以上の脳髄の所在を歴々と教へる指道標はない。のみならず――実価は五十銭である。僕は皺くちやになつた五十銭札を出し、青黒いクロオスの表紙のついた「家康と直弼」を買ふことにした。
 買つた後に開いて見ると、巻頭には近衛公の題字を始め、重野成斎《しげのせいさい》、坪内逍遥、島田沼南《しまだせうなん》、徳富蘇峰、田口鼎軒《たぐちていけん》等の序文だの、水谷不倒の「大久保湖州君小伝」だの、明治趣味の顋髯を生やした著者の写真だのもはひつてゐる。無名の書生だと思つた湖州は思ひの外知己に富んでゐたらしい。が、現代に生れた我々の湖州を知らぬことも亦《また》事実である。すると諸名士の金玉の序文も「家康と直弼」を伝へることには失敗したと云はなければならぬ。これは読者たる僕の勇気を沮喪せしめるに足る発見である。才人だと思つた大久保湖州も或は大学の教授に多い、荘厳なる阿呆の一人だつたかも知れない。僕は夜長の電燈の下にかう云ふ疑惑を抱きながら、まづ彼の大作たる家康篇を読みはじめた。……
 これはもう一昨年、――念の為に
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