らず。下より見るべからず。一郷の人は一郷の眼を以て見るべく、一国の人は一国の眼を以て見るべく、天下の人は天下の眼を以て見るべし。」
 是等の言葉は湖州によれば、いづれも史上の人物に対する観照の態度を述べたものである。けれども湖州は古人にばかり、かう云ふ観照を加へたのであらうか? いや、徳川家康をも冷眼に眺めた大久保湖州に唯史上の人物にばかり、かう云ふ観照を加へろと云ふのは出来ない相談ではないであらうか? 水谷不倒の湖州君小伝によれば「君、(中略)人に接するや寛容にして能く客を遇す。故に君の門を叩くもの日に絶えず、而して客の種類を問へば、概ね未来に属する政治家、文学者、詩人、美術家、史家、哲学者、事業家等あり。」だつたさうである。未来に属する政治家、文学者、詩人、美術家、史家、哲学者、事業家などと云ふものは勿論書生だつたのに違ひない。湖州は必ず是等の人々に独特の烱眼を注いだのであらう。同時に又是等の人々の中に、貪慾なる、奸譎《かんけつ》なる、野卑なる、愚昧なる、放漫なる、が、常に同情を感ずる人間全体を見出したのであらう。僕の信ずる所によれば、湖州たる所以は徳川家康と云ふ英雄の中に人間全体
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