間らしいとは云ひ難いにもしろ、人形らしい可愛らしさを示してゐる。けれども一部の伝記の作者の所謂人間らしい英雄はかう云ふ可愛らしささへ示してゐない。就中《なかんづく》彼等の創造した征夷大将軍徳川家康は最も不快なる怪物である。聖アントニウスを誘惑した、如何なる地獄の眷属《けんぞく》よりも一層不快なる怪物である。
 湖州の徳川家康は是等の怪物に比べずとも、おのづから人間らしい英雄である。この相違は何処から来たか? 湖州は家康を論ずるのに、凡人たらざる半面と共に凡人たる半面をも指摘したのではない。唯凡人たる半面と凡人たらざる半面との融合する一点を指摘した、――と云ふよりも寧ろ英雄の中に黙々と生を営んでゐる人間全体を指摘したのである。これは言葉の穿鑿《せんさく》だけすれば、凡人たらざる半面と共に凡人たる半面をも指摘するのと毫釐《がうり》の相違に過ぎないかも知れない。が、事実は千里の山河を隔絶したにもひとしい相違である。凡人たらざる半面と共に凡人たる半面をも指摘するのは凡庸なる作者にも成し得るであらう。しかし神采奕々《しんさいえきえき》たる人間全体を指摘するのは一代の才人を待たなければならぬ。湖州
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