等の吹聴するやうに人間らしいかどうかは疑問である。彼等はいつも厳然とかう諸君に云ふであらう。――「英雄も勿論凡人ではない。が、神には生れない以上、やはり凡人たる半面をも具へてゐたことは確かである。すると我我の目の前に何の某と云ふ人物を立たせ、その何の某の英雄たることを認めさせる為には、凡人たらざる半面を指摘すると同時に凡人たる半面をも指摘してなければならぬ。在来の伝記の英雄に人間らしさの欠けてゐるのはかう云ふ用意の足りぬ為である。……」
けれどもこれだけの用意さへすれば、果して彼等の云ふやうに、人間らしい英雄を示し得るであらうか? たとへば諸君の軽蔑する「漢楚軍談《かんそぐんだん》」を披《ひら》いて見るが好い。「漢楚軍談」の漢の高祖は秦の始皇の夢に入つたり、白帝の子たる大蛇を斬つたり、凡人ならざる半面を大いに示してゐるかと思へば、女楽を好んだり、士に傲《おご》つたり、凡人に劣らぬ半面をもやはり大いに示してゐる。しかし「漢楚軍談」の漢の高祖に王者の真面目《しんめんもく》を発見するものは三尺の童子ばかりと云はなければならぬ。もう一つ次手《ついで》に例を挙げれば、諸君の「漢楚軍談」よりも常
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