国だつた。かう云ふ一国の芸術的空気も封建時代には彼を生ずるのに或は力のあつたことであらう。僕はいつか伊賀の香合《かうがふ》に図々《づうづう》しくも枯淡な芭蕉を感じた。禅坊主は度たび褒める代りに貶《けな》す言葉を使ふものである。ああ云ふ心もちは芭蕉に対すると、僕等にもあることを感ぜざるを得ない。彼は実に日本の生んだ三百年前の大山師だつた。

     三 芭蕉の衣鉢

 芭蕉の衣鉢《いはつ》は詩的には丈艸などにも伝はつてゐる。それから、――この世紀の詩人たちにも或は伝はつてゐるかも知れない。が、生活的には伊賀のやうに山の多い信濃の大詩人、一茶に伝はつたばかりだつた。一時代の文明は勿論或詩人の作品を支配してゐる。一茶の作品は芭蕉の作品とその為にも[#「にも」に傍点]同じ峰に達してゐない。が、彼等は肚《はら》の底ではどちらも「糞やけ道《だう》」を通つてゐた。芭蕉の門弟だつた惟然《ゐねん》も亦或はかう云ふ一人だつたかも知れない。しかし彼は一茶のやうに図太い根性を持つてゐなかつた。その代りに一茶よりも可憐だつた。彼の風狂《ふうきやう》は芝居に見るやうに洒脱とか趣味とか云ふものではない。彼には彼の
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