んだ不具退転《ふぐたいてん》の一本道である。芭蕉の度たび、俳諧さへ「一生の道の草」と呼んだのは必しも偶然ではなかつたであらう。兎に角彼は後代には勿論、当代にも滅多に理解されなかつた、(崇拝を受けたことはないとは言はない。)恐しい糞やけになつた詩人である。

     二 伝記

 芭蕉の伝記は細部に亘《わた》れば、未だに判然とはわからないらしい。が、僕は大体だけは下《しも》に尽きてゐると信じてゐる。――彼は不義をして伊賀を出奔《しゆつぽん》し、江戸へ来て遊里などへ出入しながら、いつか近代的(当代の)大詩人になつた。なほ又念の為につけ加へれば、文覚《もんがく》さへ恐れさせた西行《さいぎやう》ほどの肉体的エネルギイのなかつたことは確かであり、やはりわが子を縁から蹴落した西行ほどの神経的エネルギイもなかつたことは確かであらう。芭蕉の伝記もあらゆる伝記のやうに彼の作品を除外すれば格別神秘的でも何でもない。いや、西鶴の「置土産《おきみやげ》」にある蕩児《たうじ》の一生と大差ないのである。唯彼は彼の俳諧を、――彼の「一生の道の草」を残した。……
 最後に彼を生んだ伊賀の国は「伊賀焼」の陶器を生んだ
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