ヘ最もクリストの嫌つたものだつた。
20[#「20」は縦中横] 受難
十字架にかかつたクリストは多少の虚栄心を持つてゐたものの、彼の肉体的苦痛と共に精神的苦痛にも襲はれたであらう。殊《こと》に十字架を見守つてゐたマリアを眺めることは苦しかつた訣《わけ》である。が、彼は「エリ、エリ、ラマサバクタニ」と云ふ必死の声を挙げた後も(たとひそれは彼の愛する讃美歌の一節だつたにもせよ)彼の息の絶える前には何かおほ声を発してゐた。我々はこのおほ声の中に或は唯死に迫つた力を感ずるばかりであらう。しかしマタイの言葉によれば、「殿《みや》の幔上《まくうへ》より下まで裂けて二つになり、又地|震《ふる》ひて岩裂け、墓ひらけて既に寝《い》ねたる聖徒の身多く甦《よみがへ》」つた。彼の死は確かに大勢の人々にかう云ふシヨツクを与へたであらう。(マリアの脳貧血を起したことを記してゐないのは新約聖書の威厳を尊んだからである。)クリストの一言一行に永遠の註釈を与へてゐるパピニさへこの事実はマタイを引いてゐるのに過ぎない。彼自身を欺《あざむ》いてゐるパピニの詩的情熱はそこにも亦馬脚を露《あらは》してゐる。クリ
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