み》に言ふ、夏目先生の書にも近年はめつきり贋せものが殖《ふ》えたらしい。(大正十四年十月二十日)
二 霜の来る前
毎日庭を眺めてゐると、苔《こけ》の最も美しいのは霜《しも》の来る前、――まづ十月一ぱいである。それから霜の来る前に「カナメモチ」や「モツコク」などの赤々と芽をふいてゐるのは美しいよりも寧《むし》ろもの哀れでならぬ。(同年十一月十日)
三 澄江堂
僕になぜ澄江堂《ちようかうだう》などと号するかと尋ねる人がある。なぜと言ふほどの因縁《いんねん》はない。唯いつか漫然と澄江堂と号してしまつたのである。いつか佐佐木茂索《ささきもさく》君は「スミエと言ふ芸者に惚《ほ》れたんですか?」と言つた。が、勿論《もちろん》そんな訣《わけ》でもない。僕は時々|本名《ほんみやう》の外《ほか》に入らざる名などをつけることはよせば好かつたと思つてゐる。(十一月十二日)
四 雅号
しかし雅号《ががう》と言ふものはやはり作品と同じやうにその人の個性を示すものである。菱田春草《ひしだしゆんさう》は年少時代には駿走《しゆんそう》の号を用ひてゐた。年少時代の春草は定
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