葬儀記
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)皺《しわ》くちゃ

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「碌のつくり」、第3水準1−84−27]
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 離れで電話をかけて、皺《しわ》くちゃになったフロックの袖《そで》を気にしながら、玄関へ来ると、誰《だれ》もいない。客間をのぞいたら、奥さんが誰だか黒の紋付《もんつき》を着た人と話していた。が、そこと書斎との堺《さかい》には、さっきまで柩《ひつぎ》の後ろに立ててあった、白い屏風《びょうぶ》が立っている。どうしたのかと思って、書斎の方へ行くと、入口の所に和辻《わつじ》さんや何かが二、三人かたまっていた。中にももちろん大ぜいいる。ちょうど皆が、先生の死顔《しにがお》に、最後の別れを惜んでいる時だったのである。
 僕は、岡田《おかだ》君のあとについて、自分の番が来るのを待っていた。もう明るくなったガラス戸の外には、霜よけの藁《わら》を着た芭蕉《ばしょう》が、何本も軒近くならんでいる。書斎でお通夜《つや》をしていると、いつもこの芭蕉がいちばん早く、うす暗い中からうき上がってきた。――そんなことをぼんやり考えているうちに、やがて人が減って書斎の中へはいれた。
 書斎の中には、電灯がついていたのか、それともろうそくがついていたのか、それは覚えていない。が、なんでも、外光だけではなかったようである。僕は、妙に改まった心もちで、中へはいった。そうして、岡田君が礼をしたあとで、柩の前へ行った。
 柩のそばには、松根《まつね》さんが立っている。そうして右の手を平《たいら》にして、それを臼《うす》でも挽《ひ》く時のように動かしている。礼をしたら、順々に柩の後ろをまわって、出て行ってくれという合図《あいず》だろう。
 柩は寝棺《ねかん》である。のせてある台は三尺ばかりしかない。そばに立つと、眼と鼻の間に、中が見下された。中には、細くきざんだ紙に南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》と書いたのが、雪のようにふりまいてある。先生の顔は、半ば頬《ほお》をその紙の中にうずめながら、静かに眼をつぶっていた。ちょうど蝋《ろう》ででもつくった、面型《めんがた》のような感じである。輪廓《りんかく》は、生前と少しもちがわな
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