快な音が、勢よく家中《うちぢう》に鳴り渡つたら、おれはこの肱掛椅子から立上つて、早速《さつそく》遠来の珍客を迎へる為に、両腕を大きくひろげた儘、戸口の方へ歩いて行《ゆ》かう。
おれは時々こんな空想を浮べながら、ぼんやり往来《わうらい》の人音《ひとおと》を聞いてゐる。が、いつまでたつても、おれの所へは訪問に来る客がない。おれの部屋の中には鏡にうつるおれ自身ばかりが、いつもおれの相手を勤《つと》めてゐる。
それが長い長い間《あひだ》の事であつた。
その内に或夕方、ふとおれが向うの二階の窓を見ると、黄いろい窓掛を後《うしろ》にして、私窩子《しくわし》のやうな女が立つてゐる。どうも見た所では混血児《あひのこ》か何からしい。頬紅《ほほべに》をさして、目《ま》ぶちを黒くぬつて、絹のキモノをひつかけて、細い金《きん》の耳環《みみわ》をぶら下げてゐる。それがおれの顔を見ると、媚《こび》の多い眼を挙げて、慇懃《いんぎん》におれへ会釈《ゑしやく》をした。
おれは何年にも人に会つた事がない。おれの部屋の中には、鏡にうつるおれ自身ばかりが、いつもおれの相手を勤めてゐる。だからこの私窩子《しくわし》のや
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