、今更のやうに原始時代の日本民族の生活なぞを想像せずにはゐられなかつた。……

   四

 ――雑木の重なり合つたのを押し開いて、もう一度天日の光を浴びると、案内者は私を顧みながら、
「此処が赤沢《あかざわ》です」と云つた。
 私は鳥打帽を阿弥陀《あみだ》にして、眼の前にひらけた光景を眺めた。
 私の前に横はるものは、立体の数を尽した大石であつた。それが狭い峡谷の急な斜面を満たしながら、空を劃つた峯々の向うへ、目のとどく限り連つてゐた。もし形容の言葉を着ければ、正に小さな私たち二人は、遠い山巓《さんてん》から漲り落ちる大石の洪水の上にゐるのであつた。
 私たちはこの大石に溢れた谷を、――「黄花駒《きばなこま》の爪《つめ》」の咲いてゐる谷を、虫の這ふやうに登り出した。
 暫く苦しい歩みを続けた後、案内者は突然杖を挙げて、私たちの左手《ゆんで》に続いてゐる絶壁上を指さしながら、
「御覧なさい。あすこに青猪《あをじし》がゐます」と云つた。
 私は彼の杖に沿うて、視線を絶壁の上に投げた。すると荒削りの山の肌が、頂に近く偃《は》ひ松の暗い緑をなすつた所に、小さく一匹の獣が見えた。それが青猪と云
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