運んで来た。
 やがて婢が戸をしめに来た。戸の走る度に山の上の星月夜が、私の眼界から消えて行つた。間もなく私の寝てゐるまはりは、古蚊帳に四方を遮られた、行燈《あんどん》ばかりの薄暗がりになつた。私は大きな眼をあきながら、古蚊帳の天井を眺めてゐた。するとあの青竹の笛の音が、かすかに又階下から聞えて来た。

   二

 ――山の岨《そば》を一つ曲ると、突然私たちの足もとから、何匹かの獣が走り去つた。
「畜生、鉄砲さへあれば、逃しはしないのだが。」
 案内者は足を止めて、忌々しさうに舌打ちをしながら、路ばたの橡《とち》の大木を見上げた。
 橡の若葉が重なり合つて、路の上の空を遮つた枝には、二匹の仔猿をつれた親猿が、静に私たちを見下してゐた。
 私は物珍しい眼を挙げて、その三匹の猿が徐《おもむろ》に、[#「に、」は底本では「、に」]梢を伝つて行く姿を眺めた。が、猿は案内者にとつては、猿であるよりも先に獲物であつた。彼は立ち去り難いやうに、橡の梢を仰ぎながら、礫《つぶて》を拾つて投げたりした。
「おい、行かう。」
 私はかう彼を促した。彼はまだ猿を見返りながら、渋々又歩き出した。私は多少不快で
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