塵労
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)私《わたし》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)出版|書肆《しよし》
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或春の午後であつた。私《わたし》は知人の田崎《たざき》に面会する為に彼が勤めてゐる出版|書肆《しよし》の狭い応接室の椅子《いす》に倚《よ》つてゐた。
「やあ、珍しいな。」
間《ま》もなく田崎は忙《いそが》しさうに、万年筆を耳に挟《はさ》んだ儘、如何《いかが》はしい背広姿を現した。
「ちと君に頼みたい事があつてね、――実は二三日保養|旁《かたがた》、修善寺《しゆぜんじ》か湯河原《ゆがはら》へ小説を書きに行《ゆ》きたいんだが、……」
私は早速《さつそく》用談に取りかかつた。近々《きんきん》私の小説集が、この書肆から出版される。その印税の前借《ぜんしやく》が出来るやうに、一つ骨を折つて見てはくれまいか。――これがその用談の要点であつた。
「そりや出来ない事もないが、――しかし温泉へ行《ゆ》くなぞは贅沢《ぜいたく》だな。僕はまだ臍《ほぞ》の緒《を》切つて以来、旅行らしい旅行はした事がない。」
田崎《たざき》は「
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