のは室生のためにも僕のためにも兎《と》に角《かく》欣懐《きんくわい》といふ外《ほか》はない。
この文中に室生といふのはもちろん室生犀星《むろふさいせい》君である。硯屏はたしか十五円だつた。
三 ペン皿
夏目《なつめ》先生はペン皿の代りに煎茶《せんちや》の茶箕《ちやみ》を使つてゐられた。僕は早速《さつそく》その智慧《ちゑ》を学んで、僕の家に伝はつた紫檀《したん》の茶箕をペン皿にした。(先生のペン皿は竹だつた。)これは香以《かうい》の妹婿《いもうとむこ》に当たる細木伊兵衛《さいきいへゑ》のつくつたものである。僕は鎌倉に住んでゐた頃、菅虎雄《すがとらを》先生に字を書いて頂きこの茶箕《ちやみ》の窪んだ中へ「本是山中人《もとこれさんちうのひと》 愛説山中話《とくことをあいすさんちうのわ》」と刻《きざ》ませることにした。茶箕の外《そと》には伊兵衛自身がいかにも素人《しろうと》の手に成つたらしい岩や水を刻《きざ》んでゐる。といふと風流に聞えるかも知れない。が、生来の無精《ぶしやう》のために埃《ほこり》やインクにまみれたまま、時には「本是山中人」さへ逆さまになつてゐるのである。
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