四 火鉢
小さい長火鉢《ながひばち》を買つたのもやはり僕の結婚した時である。これはたつた五円だつた。しかし抽斗《ひきだし》の具合《ぐあひ》などは値段よりも上等に出来上つてゐる。僕は当時鎌倉の辻《つじ》といふ処に住んでゐた。借家《しやくや》は或実業家の別荘の中に建つてゐたから、芭蕉《ばせう》が軒《のき》を遮《さへぎ》つたり、広い池が見渡せたり、存外《ぞんぐわい》居心地のよい住居《すまひ》だつた。が、八畳|二間《ふたま》、六畳|一間《ひとま》、四畳半二間、それに湯殿《ゆどの》や台所があつても、家賃は十八円を越えたことはなかつた。僕らはかういふ四畳半の一間にこの小さい長火鉢を据ゑ、太平無事《たいへいぶじ》に暮らしてゐた。あの借家《しやくや》も今では震災のために跡かたちもなくなつてゐることであらう。
[#地から1字上げ](大正十四年十二月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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