皇《そうこう》とこの鳥を逐い出そうとした。が、二足三足《ふたあしみあし》踏み出したと思うと、「御主《おんあるじ》」と、切れ切れに叫んだなり、茫然とそこへ立ちすくんでしまった。この薄暗い内陣《ないじん》の中には、いつどこからはいって来たか、無数の鶏が充満している、――それがあるいは空を飛んだり、あるいはそこここを駈けまわったり、ほとんど彼の眼に見える限りは、鶏冠《とさか》の海にしているのだった。
「御主、守らせ給え!」
 彼はまた十字を切ろうとした。が、彼の手は不思議にも、万力《まんりき》か何かに挟《はさ》まれたように、一寸《いっすん》とは自由に動かなかった。その内にだんだん内陣《ないじん》の中には、榾火《ほたび》の明《あか》りに似た赤光《しゃっこう》が、どこからとも知れず流れ出した。オルガンティノは喘《あえ》ぎ喘ぎ、この光がさし始めると同時に、朦朧《もうろう》とあたりへ浮んで来た、人影があるのを発見した。
 人影は見る間《ま》に鮮《あざや》かになった。それはいずれも見慣れない、素朴《そぼく》な男女の一群《ひとむれ》だった。彼等は皆|頸《くび》のまわりに、緒《お》にぬいた玉を飾りながら、愉快そうに笑い興じていた。内陣に群がった無数の鶏は、彼等の姿がはっきりすると、今までよりは一層高らかに、何羽も鬨《とき》をつくり合った。同時に内陣の壁は、――サン・ミグエルの画《え》を描《か》いた壁は、霧のように夜へ呑まれてしまった。その跡には、――
 日本の Bacchanalia は、呆気《あっけ》にとられたオルガンティノの前へ、蜃気楼《しんきろう》のように漂って来た。彼は赤い篝《かがり》の火影《ほかげ》に、古代の服装をした日本人たちが、互いに酒を酌み交《かわ》しながら、車座《くるまざ》をつくっているのを見た。そのまん中には女が一人、――日本ではまだ見た事のない、堂々とした体格の女が一人、大きな桶《おけ》を伏せた上に、踊り狂っているのを見た。桶の後ろには小山のように、これもまた逞《たくま》しい男が一人、根こぎにしたらしい榊《さかき》の枝に、玉だの鏡だのが下《さが》ったのを、悠然と押し立てているのを見た。彼等のまわりには数百の鶏が、尾羽根《おばね》や鶏冠《とさか》をすり合せながら、絶えず嬉しそうに鳴いているのを見た。そのまた向うには、――オルガンティノは、今更のように、彼の眼を疑わず
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