は「北の風、晴」と云う字をチョオクに現している。が、それはぼんやりとなり、「南の風強かるべし。雨模様」と云う字に変ってしまう。
33[#「33」は縦中横]
斜《ななめ》に見た標札屋《ひょうさつや》の露店《ろてん》、天幕《てんと》の下に並んだ見本は徳川家康《とくがわいえやす》、二宮尊徳《にのみやそんとく》、渡辺崋山《わたなべかざん》、近藤勇《こんどういさみ》、近松門左衛門《ちかまつもんざえもん》などの名を並べている。こう云う名前もいつの間《ま》にか有り来りの名前に変ってしまう。のみならずそれ等の標札の向うにかすかに浮んで来る南瓜畠《かぼちゃばたけ》……
34[#「34」は縦中横]
池の向うに並んだ何軒かの映画館。池には勿論電燈の影が幾つともなしに映っている。池の左に立った少年の上半身《じょうはんしん》。少年の帽は咄嗟《とっさ》の間《あいだ》に風のために池へ飛んでしまう。少年はいろいろあせった後《のち》、こちらを向いて歩きはじめる。ほとんど絶望に近い表情。
35[#「35」は縦中横]
カッフェの飾り窓。砂糖の塔、生菓子《なまがし》、麦藁《むぎわら》のパイプを入れた曹達水《ソオダすい》のコップなどの向うに人かげが幾つも動いている。少年はこの飾り窓の前へ通りかかり、飾り窓の左に足を止めてしまう。少年の姿は膝の上まで。
36[#「36」は縦中横]
このカッフェの外部。夫婦らしい中年の男女《なんにょ》が二人|硝子《ガラス》戸の中へはいって行く。女はマントルを着た子供を抱《だ》いている。そのうちにカッフェはおのずからまわり、コック部屋の裏を現わしてしまう。コック部屋の裏には煙突《えんとつ》が一本。そこにはまた労働者が二人せっせとシャベルを動かしている。カンテラを一つともしたまま。……
37[#「37」は縦中横]
テエブルの前の子供|椅子《いす》の上に上半身を見せた前の子供。子供はにこにこ笑いながら、首を振ったり手を挙げたりしている。子供の後ろには何も見えない。そこへいつか薔薇《ばら》の花が一つずつ静かに落ちはじめる。
38[#「38」は縦中横]
斜めに見える自動計算器。計算器の前には手が二つしきりなしに動いている。勿論女の手に違いない。それから絶えず開かれる抽斗《ひきだし》。抽斗の中は銭《ぜに》ばかりである。
39[#「39」は縦中横]
前のカッフェの飾り窓。少年の姿も変りはない。しばらくの後《のち》、少年は徐《おもむ》ろに振り返り、足早《あしばや》にこちらへ歩いて来る。が、顔ばかりになった時、ちょっと立ちどまって何かを見る。多少驚きに近い表情。
40[#「40」は縦中横]
人だかりのまん中に立った糶《せ》り商人《あきゅうど》。彼は呉服《ごふく》ものをひろげた中に立ち、一本の帯をふりながら、熱心に人だかりに呼びかけている。
41[#「41」は縦中横]
彼の手に持った一本の帯。帯は前後左右に振られながら、片はしを二三尺現している。帯の模様は廓大《かくだい》した雪片《せっぺん》。雪片は次第にまわりながら、くるくる帯の外へも落ちはじめる。
42[#「42」は縦中横]
メリヤス屋の露店《ろてん》。シャツやズボン下を吊《つ》った下に婆《ばあ》さんが一人|行火《あんか》に当っている。婆さんの前にもメリヤス類。毛糸の編みものも交《まじ》っていないことはない。行火の裾《すそ》には黒猫が一匹時々前足を嘗《な》めている。
43[#「43」は縦中横]
行火の裾に坐っている黒猫。左に少年の下半身《かはんしん》も見える。黒猫も始めは変りはない。しかしいつか頭の上に流蘇《ふさ》の長いトルコ帽をかぶっている。
44[#「44」は縦中横]
「坊ちゃん、スウェエタアを一つお買いなさい。」
「僕は帽子さえ買えないんだよ。」
45[#「45」は縦中横]
メリヤス屋の露店を後ろにした、疲れたらしい少年の上半身《じょうはんしん》。少年は涙を流しはじめる。が、やっと気をとり直し、高い空を見上げながら、もう一度こちらへ歩きはじめる。
46[#「46」は縦中横]
かすかに星のかがやいた夕空。そこへ大きい顔が一つおのずからぼんやりと浮かんで来る。顔は少年の父親らしい。愛情はこもっているものの、何か無限にもの悲しい表情。しかしこの顔もしばらくの後《のち》、霧のようにどこかへ消えてしまう。
47[#「47」は縦中横]
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