また立派に正確な史料で通っています。だから余程史料の取捨を慎《つつし》まないと、思いもよらない誤謬を犯すような事になる。君も第一に先《まず》、そこへ気をつけた方が好《い》いでしょう。」
 本間さんは向うの態度や口ぶりから推して、どうもこの忠告も感謝して然る可きものか、どうか判然しないような気がしたから、白葡萄酒を嘗《な》め嘗め、「ええ」とか何とか、至極|曖昧《あいまい》な返事をした。が、老紳士は少しも、こっちの返事などには、注意しない。折からウェエタアが持って来たウイスキイで、ちょいと喉《のど》を沾《うるお》すと、ポケットから瀬戸物のパイプを出して、それへ煙草をつめながら、
「もっとも気をつけても、あぶないかも知れない。こう申すと失礼のようだが、それほどあの戦争の史料には、怪しいものが、多いのですね。」
「そうでしょうか。」
 老紳士は黙って頷きながら、燐寸《まっち》をすってパイプに火をつけた。西洋人じみた顔が、下から赤い火に照らされると、濃い煙が疎《まばら》な鬚をかすめて、埃及《エジプト》の匂をぷんとさせる。本間さんはそれを見ると何故か急にこの老紳士が、小面憎《こづらにく》く感じ出し
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