さんは、急に笑いがこみ上げて来た。そこでその笑を紛《まぎら》せるために新しいM・C・Cへ火をつけながら、強《し》いて真面目《まじめ》な声を出して、「そうですか」と調子を合せた。もうその先を尋《き》きただすまでもない。あらゆる正確な史料が認めている西郷隆盛の城山戦死を、無造作に誤伝の中へ数えようとする――それだけで、この老人の所謂《いわゆる》事実も、略《ほぼ》正体が分っている。成程これは気違いでも何でもない。ただ、義経《よしつね》と鉄木真《てむじん》とを同一人にしたり、秀吉を御落胤《ごらくいん》にしたりする、無邪気な田舎翁《でんしゃおう》の一人だったのである。こう思った本間さんは、可笑《おか》しさと腹立たしさと、それから一種の失望とを同時に心の中で感じながら、この上は出来るだけ早く、老人との問答を切り上げようと決心した。
「しかもあの時、城山で死ななかったばかりではない。西郷隆盛は今日《こんにち》までも生きています。」
老紳士はこう云って、むしろ昂然と本間さんを一瞥《いちべつ》した。本間さんがこれにも、「ははあ」と云う気のない返事で応じた事は、勿論である。すると相手は、嘲るような微笑をちらりと唇頭《しんとう》に浮べながら、今度は静な口ぶりで、わざとらしく問いかけた。
「君は僕の云う事を信ぜられない。いや弁解しなくっても、信ぜられないと云う事はわかっている。しかし――しかしですね。何故君は西郷隆盛が、今日《こんにち》まで生きていると云う事を疑われるのですか。」
「あなたは御自分でも西南戦争に興味を御持ちになって、事実の穿鑿《せんさく》をなすったそうですが、それならこんな事は、恐らく私から申上げるまでもないでしょう。が、そう御尋ねになる以上は、私も知っているだけの事は、申上げたいと思います。」
本間さんは先方の悪く落着いた態度が忌々《いまいま》しくなったのと、それから一刀両断に早くこの喜劇の結末をつけたいのとで、大人気《おとなげ》ないと思いながら、こう云う前置きをして置いて、口早やに城山戦死説を弁じ出した。僕はそれを今、詳しくここへ書く必要はない。ただ、本間さんの議論が、いつもの通り引証の正確な、いかにも諭理の徹底している、決定的なものだったと云う事を書きさえすれば、それでもう十分である。が、瀬戸物のパイプを銜《くわ》えたまま、煙を吹き吹き、その議論に耳を傾けていた老
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