どちらかの中に夏目先生と散歩に出たら、先生の稲を知らないのに驚いたと云ふことを書いてゐます。或時この稲の話を夏目先生の前へ持ち出すと、先生は「なに、稲は知つてゐた」と云ふのです。では子規の書いたことは※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》だつたのですかと反問すると「あれも※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]ぢやないがね」と云ふのです。知らなかつたと云ふのもほんたうなら、知つてゐたと云ふのもほんたうと云ふのはどうも少し可笑《をか》しいでせう。が、先生自身の説明によると、「僕も稲から米のとれる位のことはとうの昔に知つてゐたさ。それから田圃《たんぼ》に生える稲も度《たび》たび見たことはあるのだがね。唯その田圃《たんぼ》に生えてゐる稲は米のとれる稲だと云ふことを発見することが出来なかつたのだ。つまり頭の中にある稲と眼の前にある稲との二つをアイデンテイフアイすることが出来なかつたのだがね。だから正岡《まさをか》の書いたことは一概《いちがい》に※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]とも云はなければ、一概にほんたうとも云はれないさ」!
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