途端に私は、わざと舟のあほりを食つたやうに装つて、(乗る時にも、さうだつたので、これは至極自然に見えるだらうと思つてゐた。)よろけながら、手を舷《ふなべり》の上にある女房の手にかけた。さうして、太鼓に腰を支へられながら「これは失礼」と声をかけた。君はその時、私がどんな心もちだつたと思ふ? 私は、この接触から来る可也《かなり》強い刺戟を予想してゐた。恐らく私の今までの経験は、最後の仕上げを受ける事だらうとさへも思つてゐた。が、この予想は見事に、外《はづ》れてしまつたのではないか。私は勿論、滑《なめらか》な、寧《むしろ》つめたい皮膚の手ざはりと、柔かい、しかも力のある筋肉の抵抗とを感じた。しかし、それらは、結局今までの経験の反復にすぎない。同じ刺戟は、回数と共に力を減じて来る。ましてこの時は予想が大きい。私は索漠とした心もちで、静に私の手をはなさなければならなかつた。もし私の今までの経験が、完全にこの女房の体を鑑賞したのでなかつたなら、かう云ふ失望はどうして、説明する事が出来るだらう。私はこの女を、感覚的に知りつくした。――どうしても、かう考へるより外はない。
 これは、またかう云ふ事から考へて見ても、わかるだらう。それは私が昨日《きのふ》なじんだ吉原の太夫と、今の女房とを、私の心もちの上でくらべて見るとする。成程一人は一夜中《いちやぢゆう》一しよに語りあかした。一人は僅《わづか》の時間だけ、一つ舟に乗つてゐたのに過ぎない。が、その差別は、膚下一寸《ふかいつすん》でなくなつてしまふ。どちらが私に、より多く満足を与へたか、それは殆どわからない。従つて、私が持つて居る愛惜も(もしさう云ふものがあるとすれば)全く同じやうなものである。私は右の耳に江戸清掻《えどすがが》きの音《ね》を聞き、左の耳に角田川《すみだがは》の水の音を聞いてゐるやうな心もちがした。さうしてそれが両方とも、同じ調子を出してゐるやうな心もちがした。
 これは、私には兎も角も発見だつた。が、総じて、発見位、人間をさみしくするものはない。私は花曇りの下を、丁稚を伴《とも》につれて、その眉のあとの青い女房が、「ぬきあし中《なか》びねりのあるきかた」で、耳の垢とりの後《うしろ》から、桟橋を渡るのを見た時には、何とも云へずさびしかつた。勿論惚れた訳でも何でもない。唯向うでも大体私と同じやうな心もちでゐたと云ふ事は、私
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