する、云はばヒユマンな閃《ひらめ》きを捉《とら》へた、手つ取り早い作品ばかりである。誰か年少の天才の中に、上記の新機軸を出すものはゐないか?

     十 世人

 西洋雑誌の載せる所によると、二十一年の九月|巴里《パリ》にアナトオル・フランスの像の建つた時、彼自身その除幕式に演説を試みたと云ふ事である。この頃それを読んでゐると、かう云ふ一節を発見した。「わたしが人生を知つたのは、人と接触した結果ではない。本と接触した結果である。」しかし世人は書物に親しんでも、人生はわからぬと云ふかも知れない。
 ルノアルの言つた言葉に、「画《ゑ》を学ばんとするものは美術館に行け」とか云ふのがある。しかし世人は古名画を見るよりも、自然に学べと云ふかも知れない。
 世人とは常にかう云ふものである。

     十一 火渡りの行者

 社会主義は、理非曲直《りひきよくちよく》の問題ではない。単に一つの必然である。僕はこの必然を必然と感じないものは、恰《あたか》も火渡《ひわた》りの行者《ぎやうじや》を見るが如き、驚嘆の情を禁じ得ない。あの過激思想取締法案とか云ふものの如きは、正にこの好例の一つである。


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