ん》は古いものである。僕はロシユフウコオルの格言を思ひながら、この記事を読んだ時、実際|苦笑《くせう》せずにはゐられなかつた。それを思へば日本の文壇は、新開地だけに悪風も少い。売笑批評とか仲間褒《なかまぼ》め批評とか云つても、まづ害毒は知れたものである。
因《ちなみ》に云ふ。この評論の筆者はマダム・ド・サブレ、評論されたのは例の格言集である。
九 歴史小説
歴史小説と云ふ以上、一時代の風俗なり人情なりに、多少は忠実でないものはない。しかし一時代の特色のみを、――殊に道徳上の特色のみを主題としたものもあるべきである。たとへば日本の王朝時代は、男女関係の考へ方でも、現代のそれとは大分《だいぶ》違ふ。其処《そこ》を宛然《ゑんぜん》作者自身も、和泉式部《いづみしきぶ》の友だちだつたやうに、虚心平気に書き上げるのである。この種の歴史小説は、その現代との対照の間《あひだ》に、自然或暗示を与へ易い。メリメのイザベラもこれである。フランスのピラトもこれである。
しかし日本の歴史小説には、未《いま》だこの種の作品を見ない。日本のは大抵《たいてい》古人の心に、今人《こんじん》の心と共通
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