の恋」の筋をはつきり覚えてゐたのである。
 客は決して軽薄児《けいはくじ》ではない。学問も人格も兼備した、寧《むし》ろ珍しい文芸通である。しかもこの事実に気づかなかつたのは、志賀氏の作品の型とでも云ふか、兎《と》に角《かく》何時《いつ》か頭の中にさう云ふ物を拵《こしら》へた上、それに囚《とら》はれてゐた為であらう。これは独り客のみではない。我我も気をつけねばならぬ事である。

     八 釣名文人

 古来作家が本を出した時、その本の好評を計《はか》る為に、新聞雑誌に載るべき評論を利用する事は稀《まれ》ではない。中には手加減を加へるどころか、作者自身然るべき匿名《とくめい》のもとに、手前味噌《てまへみそ》の評論を書いたのもある。
 ド・ラ・ロシユフウコオルは名高い格言集の作家である。処がサント・ブウヴの書いたものによると、この人さへジユルナアル・デ・サヴアンに出た評論には、彼自身修正を施したらしい。しかもジユルナアル・デ・サヴアンは、当時発行された唯一《ゆゐいち》の新聞であり、その評論の載つたのは、千六百六十五年三月九日だと云ふのだから、作家の評論を利用するのも、ずいぶん淵源《えんげ
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