第3水準1−14−76]忙《そうばう》たる暮しを営んでゐる。勉強も中中思ふやうに出来ない。二三年|前《ぜん》に読みたいと思つた本も未だに読まずにゐる始末《しまつ》である。僕は又かう云ふ煩《わづら》ひは日本にばかりあることと思つてゐた。が、この頃ふとレミ・ド・グルモンのことを書いたものを読んだら、グルモンはその晩年にさへ、毎日ラ・フランスに論文を一篇、二週間目にメルキユウルに対話を一篇書いてゐたらしい。すると芸術を尊重する仏蘭西《フランス》に生れた文学者も甚だ清閑《せいかん》には乏しい訣《わけ》である。日本に生れた僕などの不平を云ふのは間違ひかも知れない。
二十 イバネス
イバネス氏も日本へ来たさうである。滞在日数も短かかつたし、まあ通り一ぺんの見物をすませただけであらう。イバネス氏の評伝には Camille Pitollet の 〔V.Blasco−Iba'n~ez, Ses romans et le roman de sa vie〕 などと云ふ本も流行してゐる。と云つて読んでゐる次第ではない。唯二三年|前《ぜん》の横文字の雑誌に紹介してあるのを読んだだけである。
「わた
前へ
次へ
全42ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング